フィリピンは災害大国である。
毎年のように台風や洪水に見舞われるほか、火山国でもあるため、ときに大規模な噴火が発生する。1991年に起きたピナツボ火山の噴火では、標高1745メートルあった山が1485メートルにまで低くなるほどの大噴火となった。噴火に伴う泥流「ラハール」が広範囲の田畑を覆い尽くし、特に山岳民族のアエタ族は農業も狩猟もできなくなり、生活に困窮し、マニラなどの都市部で物乞いをする姿が目立つようになった。
一方で、こうした災害に対する対策工事は遅々として進んでいない。2025年9月には台風20号がフィリピンを直撃し、少なくとも10人が死亡した。9月20日には災害対策が進まない背景には汚職があるとして、大規模な反政府デモが発生した。一部は暴徒化し、70人以上が負傷、17人以上が拘束された。デモ隊は、対策予算が計上されているにもかかわらず工事が行われず、資金の行方が不明となる「幽霊事業」が頻発していると主張し、災害は与党政治家の汚職による「人災」だと訴えた。
大規模デモの直後、今度はセブ島沖でマグニチュード6.9の地震が発生し、子どもを含む60人が死亡した。さらに11月には台風による被害が2度発生し、国民の不満は一層高まった。
この事態に、マルコス大統領は「すでに対策工事が終わっているはずだ」と激怒したとされる。実際、1億4,000万円を投じ、6月に完成したはずの工事現場には、工事が行われた形跡がまったくなかったという。工事資金は上下両院の与党議員の懐に消えた可能性が強いと見られている。
マルコス大統領の怒りの背景には、1986年に起きた「エドサ革命」の記憶があるのだろう。
父である故マルコス大統領の政権下では、日本の商社を含むキックバック型の汚職が蔓延していた。そのうえ、政敵であったベニグノ・アキノ氏が帰国直後に空港で暗殺される事件が起きた。
その後の大統領選挙には、アキノ氏の妻であるコラソン・アキノ女史が立候補し、マルコス元大統領との一騎打ちとなった。選挙結果は大方の予想に反してマルコス元大統領の勝利とされたが、不正選挙だと判断した民衆が首都マニラの環状道路エドサ通りを埋め尽くし、都心のルネタ公園には30万人規模のデモ隊が集結した(写真)。
この事態にアメリカが介入し、大統領官邸であったマラカニアン宮殿から、マルコス一家は強制的にアメリカへ亡命させられた。亡命直前、マルコス一家は宮殿のベランダに立ち、集まった支持者に別れを告げた。その際、まだあどけなさの残る青年だった現マルコス大統領も、ベランダの右端に立っていた姿が記憶に残っている。
父親が汚職によって民衆の怒りを買い、大規模デモと革命によって政権を失う様子を目の当たりにした経験が、マルコス大統領をとりわけ汚職と反政府デモに敏感にさせているのである。
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