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〔45〕宗主国の存在感が薄かったアジア最後のヨーロッパ系植民地・マカオ 小牟田哲彦(作家)

〔45〕宗主国の存在感が薄かったアジア最後のヨーロッパ系植民地・マカオ 小牟田哲彦(作家)

▼執筆者紹介

昭和50年東京生れ。早稲田大学法学部卒業、筑波大学大学院ビジネス科学研究科企業科学専攻博士後期課程単位取得退学。日本及び東アジアの近現代交通史や鉄道に関する研究・文芸活動を専門とする。平成7年、日本国内のJR線約2万キロを全線完乗。世界70ヵ国余りにおける鉄道乗車距離の総延長は8万キロを超える。平成28年、『大日本帝国の海外鉄道』で第41回交通図書賞奨励賞受賞。 平成19年4月から平成20年3月まで霞山会発行の月刊誌『東亜』でアジア各地の船舶紀行「甲板からアジアを見る旅」(→『全アジア航路を行く』に収録)、平成20年4月から平成28年7月まで霞山会ホームページでコラム「アジアの停車場」(→『アジアの停車場:ウラジオストクからイスタンブールへ』に収録)、平成28年8月から令和2年9月までコラム「アジアの一期一会」(→『アジアの一期一会――通りすがりの異文化交流』に収録)を連載。日本文藝家協会、鉄道史学会、交通史学会会員。著書等詳しくはこちら

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〔45〕宗主国の存在感が薄かったアジア最後のヨーロッパ系植民地・マカオ

香港を訪れる観光客は、よほど急ぎの弾丸スケジュールか香港に特化したリピーターでない限り、船でマカオへ足を延ばすことが多い。香港からマカオまでは高速フェリーで所要約1時間。そのため、香港の観光客によるマカオ訪問は、香港のホテルに荷物を置いたままの日帰り旅行が主流となっている。香港には、九龍半島とヴィクトリア・ハーバーを挟んで対峙する香港島以外にもたくさんの離島があり、それぞれに見どころがあるのだが、それらの島々よりも離れたマカオに旅行者が集中するのは、かつての統治権者が香港とマカオで異なっており、香港と異なる異国情緒を感じられる場所だからだろう。

マカオは1557年、日本では桶狭間の戦いの3年前にあたる年にポルトガル人居留地が当地に設立されたのが、ポルトガルによるマカオ支配の始まりとされる。その後、イギリスに支配された香港の隣でポルトガルによる統治が続いたが、1974年にポルトガル本国で政変が起こると中国へのマカオ返還の動きが進み、1999年12月に主権を中国へ返還。442年ぶりにマカオはポルトガルの手を離れるに至った。香港返還から2年後の出来事であり、このマカオ返還を最後に、ヨーロッパの国々がかつてアジアに有していた植民地あるいはそれに類する海外領土は全て消滅した。

もっとも、観光旅行先としての香港やマカオは、「植民地」という言葉が持つマイナスイメージを感じさせることが少なかった。下の画像は1984年に東京のマカオ政府観光局が発行したマカオの観光マップだが、「中国の大河に浮かぶ小さなポルトガル」というキャッチフレーズからは、遠いヨーロッパのそのまた最西端の国の雰囲気をアジアの中で感じられる、出島のようなエキゾチックな魅力を打ち出そうという意欲が伝わってくる。

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1984年に東京のマカオ政府観光局が発行したマカオの地図

この地図の裏面にある「GENERAL INFORMATION」の見出しは「東洋と西洋の出会いの街マカオ」。同じことはイギリスの植民地だった香港にも言えたのだが、世界有数の国際貿易都市として発展を遂げた大都会の香港に比べると、マカオはカジノをはじめとするギャンブルのイメージを除けば、どこかのんびりとした古きヨーロッパを感じさせる。宗主国がポルトガルという、多くの日本人にとってはイギリスよりもやや遠さを感じる国であったことも、そうした印象を強める要因だったかもしれない。

ただ、実際に現地を訪ねてみると、現地で「ここがポルトガル領だ」と感じることは少なかった。フェリーを降りた港の出入国審査場内に掲げられている案内表示の第1言語がポルトガル語だったのを除くと、マカオ滞在中にポルトガル語を見聞きする機会はなかった。試しに入場してみたカジノはもとより、街の中でランチタイムに入ったポルトガル料理店でも当然のように英語だけで事足りた。ベトナムでは独立後も長らくフランス語の通用度がそれなりに高かったのと比べると、同じく非英語圏であるポルトガルが支配する現役(?)の植民地なのに、宗主国の言語の通用度は驚くほど低かった。コロニアル様式の建築物があちこちに見られる街並みは確かにエキゾチックだったが、そのコロニアルな雰囲気を持ち込んだ統治国の存在感は稀薄というのが、一観光客が瞥見した中国返還前のマカオの思い出である。


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