日本のみならず宗教団体への多額の献金が問題になっている。安倍元総理の銃撃事件でも、宗教団体の影響が背景にあったことが指摘された。ミャンマーやタイなどの小乗仏教の国では、僧侶が金銭に触れることすら禁じられている。戒律は日本人の想像以上に厳しい。
取材で訪ねたアユタヤの寺では、2000人近い孤児たちを保護し、僧侶たちが生活から教育まで全面的に支えていた。僧侶は本来の寺の勤めに加え、孤児たちの食事を用意し、学校にも目を配り、休む暇などない。(写真)孤児たちの表情に不安はなかった。寺を「施設」ではなく、「家」と感じているように見えた。
取材を終え、機材を片付けているとき、寺に謝礼を渡し忘れていたことに気づいた。会社の謝礼品の中に、ドラえもんの絵がついた鉛筆があったので、タイ人の女性助手に「僧侶にお礼を言って渡してほしい」と頼んだ。
すると、彼女の表情が一変した。「ボス、女性が僧侶に近づいて品物を手渡すことはできません。ボスが渡してください」
小乗仏教の僧侶は、金だけでなく、結婚も、女性に触れることも厳しく禁じられていることをそのとき初めて知った。
日本で親しまれている『ビルマの竪琴』という小説がある。終戦後もビルマに残り、日本兵の遺骨を弔うために僧侶となった水島上等兵を描いた物語だ。何度も映画化された名作だが、現地の感覚からすると考えられない場面がある。
一人前の僧侶になるには、本来最低でも10年の厳しい修業が必要だ。終戦末期の悲惨な状況を見て遺骨を弔うため、ある日突然兵士が僧侶になることは現実にはあり得ない。物語のラスト、水島上等兵が竪琴で「仰げば尊し」を奏で、帰国しない決意を示す場面は名場面だが、戒律上、僧侶が歌舞音曲に親しむことは許されていない。竪琴を弾くこともできないのだ。
上座部仏教では、僧侶だけが輪廻転生の苦しみから救われると信じられている。そのため男子は一生に一度、最低3か月ほど出家して修行を積む習慣がある。ある日、バンコク支局の助手が、突然「3か月休ませてほしい」と言ってきた。長い休みに驚いたが、短期出家をすると言われれば断ることはできない。自宅で行われた得度式に招かれ、私は不慣れな手つきで彼の髪の一部を切り落とした。髪を落とした瞬間、両親は息子に向かって跪き、深く頭を下げた。僧侶として修業に入る息子を敬うことで、両親自身もまた徳を積むのだという。
信仰は、金を集めるための仕組みにもなり得るし、人を支える力にもなる。同じ「宗教」という言葉でも、その姿は国や文化によって、これほどまでに違うものである。
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