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〔46〕観光案内リーフレットを綴じ込んだ軍事郵便カバー 小牟田哲彦(作家)

〔46〕観光案内リーフレットを綴じ込んだ軍事郵便カバー 小牟田哲彦(作家)

〔46〕観光案内リーフレットを綴じ込んだ軍事郵便カバー

リアルの戦争には誰も遭遇したくないが、過去に起こった戦争の痕跡は観光史跡として旅行者の関心を集める。従軍経験者がまだ健在である比較的近い時代の戦跡だと、悲惨な戦争を繰り返してはならないと戒める意味を持たせるケースもあれば、自国の戦勝を華々しく誇って聖地化しているところもある。

昭和初期には、軍事行動と観光が同じ場所で同時期に成立しうるような状況が中国大陸で発生した。昭和12(1937)年7月に盧溝橋事件が起こって日中両軍が衝突すると、翌8月には上海でも両軍が交戦(第2次上海事変)。蔣介石率いる国民党軍は11月に上海から撤退している。

画像①と②は、それから3ヵ月後の昭和13(1938)年2月に上海で発行された、日本の軍事郵便用封筒のカバーと、カバーの裏側に印刷されている上海の地図及び端が糊付けされている上海紹介のリーフレットである。軍事郵便とは戦地から、または戦地に宛てて差し出される郵便物であり、日本では日清戦争から第2次世界大戦の終結時まで存在した。戦地から差し出す軍事郵便は基本的に無料であり、画像①の封筒も本来切手を貼るべき箇所に「軍事郵便」の文字が刷られている。つまり、切手を貼らずにこのまま差し出せるのだ。

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画像:上海のバンド(外灘)と揚子江が描かれた軍事郵便用の書簡図絵

戦地からの手紙というと粗末な紙質のハガキをイメージしがちだが、この封筒はなかなか凝っている。揚子江とその向こう岸のバンド(外灘)と呼ばれる租界の風景を描いたカバーは「書簡図絵」と呼ばれるもので、裏面は画像②のように、上海の街路図と通信欄になっている。そして、裏面の端に糊付けされた上海紹介のリーフレットが、ていねいに折りたたまれている。リーフレットには「昭和十三年二月十日発行」、発行所は上海の呉淞路という日本人街にあった至誠堂書店となっている。カバーの図柄を描いたのは東京の日本名所絵図社で、この会社には売れっ子の絵師が多数在籍していたらしい。

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画像:書簡図絵の内側。カバーの裏面には上海の市街図が描かれ、「観光」の解説文が見えるリーフレットが綴じ込まれている

第2次上海事変の直後に発行されたとあって、リーフレット冒頭の「地理沿革」には、「多年誤まれる政策を持續し來たれる暴虐なる國民黨政府は、非道にも日支事變を惹き起し・・・」という一文が挿入されているが、旅行者の視点から注目すべきは「觀光」という項目である。西洋建築が並ぶバンドと古くからの中国式建物がひしめく城内の散歩を勧め、黄浦江上流の寺院を観光名所として紹介している。

日本名所絵図社がカバー画を描き、上海の至誠堂書店が同時期に発行した同種の書簡図絵は、上海のほか蘇州や南京のバージョンも存在する。軍事郵便は無料である代わりに、機密保持のため検閲されるため、通信欄に所属部隊の場所などは書けなかったはずなのだが、こんな見た目にも楽しいカバーやリーフレット付きの書簡図絵を使ったら、通信欄には余計なことを書かなくても、駐屯場所が一発で判明してしまうのではないかと思う。この書簡図絵を軍事郵便として差し出す兵士は、どんなことを考えながら本文をしたためていたのだろうか。


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