■“格下げ”騒動の裏で中国が発しているもの
日中関係の対立状況は相変わらずだ。だが中国は、関係悪化の原因は日本にあるという自国の尺度だけの認識を、日本にのみならず国際社会に向けても発信している。
外務省が4月10日に公表した2026年版『外交青書』では、日中関係の位置づけが、長年使ってきた「中国との関係は、日本にとって最も重要な二国間関係の一つ」から、単なる「重要な隣国」へと変わった。確かにこの変化は、日本の立ち位置の微妙な修正を示している。日本のメディアはこれを“格下げ”という見出しで報じ、中国も含めた各国の注目を集めた。変化を伝え、人々の関心を呼ぶのが、言論の自由のある国のメディアの特徴でもある。
ただ、2026年版全体を読めば、日本は日中関係を引き続き重要視していることが分かる。問題は、中国が共産党のコントロール下にあるメディアを使い、「格下げ」という一つのメッセージだけを切り出して国際社会に向けて発信し、日本批判に利用していることだ。狙いが日本の孤立化にあるのは明らかだろう。たとえ滑稽だと思われても、印象に残るのは強く、先んじて発信された方の言説である。日本が中国側の批判を放置する、あるいは反論を誤れば、ますます深みにはまっていく。
では、2026年版の「日中関係」パートは実際に何を語っているのか。冒頭で、「中国とは、戦略的互恵関係を包括的に推進し、建設的かつ安定的な関係を構築していくことが一貫した方針である」と記す。そのうえで、尖閣諸島周辺などでの「力又は威圧による一方的な現状変更の試み」、日本周辺での軍事活動、レアアース問題などの対日姿勢、台湾海峡問題、香港やウイグルでの人権状況への懸念を並べ、「重要な隣国であり、様々な懸案と課題があるからこそ、意思疎通を継続しながら、国益の観点から冷静かつ適切に対応していく」とした。
確かに、中国が昨年11月以降、国会論戦への反応も含めて「一方的な批判や威圧的措置を強めている」ことを指摘し、中国による日本渡航自粛要請や、自衛隊機に対するレーダー照射、「国連憲章の旧敵国条項」に基づく軍事行動を日本に対して行う権利があるといった東京の中国大使館による挑発的言動も挙げた。しかし「重要な隣国」という表現は、韓国に対する位置づけと同じである。つまり全面的な関係切り下げではない。
それでも中国外務省は、位置づけ変更に対する日本メディアの質問に対し、直接論評は避けながら、「(悪化した)中日関係の今日の状況は高市早苗総理大臣の台湾に関する間違った答弁が根本原因だ」と切り返した。4月13日、中国共産党系メディア『環球時報』は国際社会を意識した英語版に日中関係専門家・項昊宇の論説を掲載し、外交青書公表の4月10日と、改憲発議への決意が示された4月12日の自民党大会の日程が近接していることを結びつけ、「中国の優先順位下げを明記した外交青書は、中国との対立姿勢を制度化したものだ」「高市政権の右傾化、急進的政策路線とリンクしている」「外交努力で溝を埋める努力をせず、中日関係の悪化を中国のせいにしている」と訴えた。民主主義国家の党大会で示された決意は、中国の党大会と違い、そのまま既定路線になるとは限らない。外交努力を怠り、関係悪化の責任を相手に押しつけているという批判は、そのまま中国にも当てはまる。だが、BBCは項昊宇の論説を引用して「中日関係はどうなるのか」と報じた。
■外交青書は日本外交の「体温」を映す
外交青書とは、日本の外交活動を、その時々の国際情勢、歴史の大きな流れ、国内世論の変化を踏まえてまとめる公式文書である。外国から見れば日本政府の宣言であり、使われる言葉や章立て、順番から、日本が国際社会をどうとらえ、何を世界に訴えたいのか、その熱量や優先順位が透けて見える。
日中国交正常化以来の外交青書を追うと、中国の位置づけワードは「外交の主要な柱の一つ」から「最も重要な二国間関係の一つ」、そして「重要な隣国」へと変遷してきた。そこに「戦略的互恵関係」「建設的かつ安定的な関係」「アジア及び世界の平和と安定に貢献する」といった定型語が重なっていく。
■ピンポン外交と国交正常化の熱気
日中国交正常化は1972年だが、その前段階の1971年版にすでに風向きの変化が現れている。1971年版の青書では、まず「概説」で中華民国に触れ、その後「中国大陸との関係」で初めて「中華人民共和国」が登場した。名古屋世界卓球選手権に参加するため、「中華人民共和国の卓球選手団60名が来日した」と記される。いわゆる“ピンポン外交”である。国連の中国代表権問題では、「中華人民共和国政府の招請と中華民国政府の追放を求めるいわゆるアルバニア決議案が、初めて2票差で賛成票が反対票を上回った」と記されていた。
この1971年版を境に、中国に関する記述は急に増える。それまで外交関係を持っていた「中国」は中華民国、つまり現在の台湾だった。1970年版までは、中国共産党政権を指して「中共」「中共との関係」という言葉が使われていたのである。
そもそも日本の対中政策は、常に米国の中国をめぐる動きを強く意識してきた。当時は日米双方が競って中国に接近した。1972年版の「米中関係」には、ニクソン大統領が1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官の極秘訪中を突然明らかにしたこと、そして大統領自ら1972年2月に訪中したことが一気に記される。「国連」の項目では、中華人民共和国が国連代表権を獲得し、中華民国が議席を失ったことも明記された。
1973年版では、1972年9月の日中国交正常化が「戦後23年の長きにわたった日中間の不自然かつ不正常な関係は終止符を打たれた」と表現され、日本政府の高揚感が行間から伝わってくる。「台湾とわが国との外交関係は消滅した」との一文も重い。以後、「中華民国」の名称は姿を消した。
1978年には、日中平和友好条約の締結、中国の改革開放政策の決定、米中国交正常化の決定という大きな動きが続いた。これを反映した1979年版は、日中関係を「アジア及び世界の平和と安定に貢献する」関係と位置づける。後にこの表現は「アジア太平洋地域ひいては世界の平和と安定にとっても重要」へと変わり、2008年版まで踏襲された。
■中国が「外交の柱」になった
一方、日本と米国との関係は1980年版で「わが国外交の基軸」と位置づけられ、以後今日まで続く。さらに1982年版では日米が「同盟関係」にあることが明記された。その同じ1982年版で、中国との関係は初めて「我が国外交の主要な柱の一つ」とされた。日本は、日米同盟を基軸にしながらも、中国との外交パイプも太くしていたのである。日中関係が、米中関係に従属するだけでなく、ある程度独自に発展し得た時代だった。
1987年版では、中国は「我が国外交の重要な柱の一つ」とされ、「主要な」が「重要な」に変わった。もっとも、この種の位置づけ表現は天安門事件で二年間中断する。だが冷戦後には復活し、1991年版から1993年版までは「日本外交の主要な柱の一つ」と、「アジア・太平洋の平和と安定のためにも重要」という表現が併記された。1992年の天皇訪中は、その象徴でもあった。日中関係が最良であった時代だ。
■「最も重要な二国間関係の一つ」への道
その後、中国の核実験や台湾をめぐる対立で、1995年版と1996年版では位置づけが見送られる。1996年には日米防衛協力ガイドライン見直しで台湾海峡が焦点化し、日中関係は再び緊張した。
それでも日本にとって中国が重要な存在であることに変わりはなかった。1997年版では「アジア太平洋地域、更には世界全体の平和と繁栄のため重要」な関係とされた。1998年、江沢民主席訪日を受けた日中共同宣言では、いまや定番となった「最も重要な二国間関係の一つ」が初めて登場する。外交青書では2000年版から採用され、2025年版まで続いた。
■「アジア太平洋」は日中から日米の言葉になった
ここで見逃せないのが、「アジア太平洋地域」というワードの“移動”である。この言葉は、日中関係の重要性を語る文脈で使われていた。中国が単なる隣国ではなく、地域と世界の安定に関わる存在だという認識が込められていたからだ。ところが2003年版では、このワードが日中関係と日米関係の双方に現れたあと、2004年版以降は日米関係にだけ残り、「日米両国は、アジア太平洋地域における最も強固な同盟関係」といった表現へ収斂していく。逆に、日中関係からは消えた。これは日本外交の重心がどちらへ移っていったかを示す、象徴的な変化である。かつては日中関係の広がりを語る言葉だったものが、いつしか日米同盟の強固さを示す言葉になっていったのである。
■「戦略的互恵関係」は風雪に耐えた
ただし「最も重要な二国間関係の一つ」は、尖閣諸島をめぐる緊張のたびに抜け落ちる。2004年版と2005年版、2010年版と2011年版、2014年版と2015年版がそうだ。だが、消えたかと思うと、また戻る。そこが面白いところでもある。関係が悪化しても、完全には切り捨てられない。それが日本外交の対中認識だった。
もう一つ、外交青書で定番となったのが「戦略的互恵関係」である。2006年、安倍晋三総理大臣は、小泉政権期に悪化した日中関係の改善に乗り出し、就任後最初の外遊で訪中した際、温家宝首相との共同プレス発表でこの言葉を打ち出した。
2008年の胡錦涛主席訪日では、「最も重要な二国間関係の一つ」「アジア太平洋地域及び世界の平和、安定、発展に対し大きな影響力」「戦略的互恵関係」という三つの重要ワードが並んだ。ところが前述の通り、「最も重要な二国間関係の一つ」は尖閣問題のたびに抜ける。それに対し、「戦略的互恵関係」はしぶとく残った。価値観の違いを抱えつつも、共通の戦略的利益に立脚して信頼増進を目指すという、大局的な表現だったからだ。
2022年版からは「建設的かつ安定的な日中関係」という新語も加わる。中国語の「建設的」には、意見の違いがあっても解決に向けて建設的に話し合うというニュアンスがある。2025年版では「最も重要な二国間関係の一つ」「建設的かつ安定的な日中関係」「戦略的互恵関係」の三つがそろい、2026年版でもそのうち二つは維持された。変わったのは、「最も重要な二国間関係の一つ」が「重要な隣国」に置き換わった一点なのである。
■膨らみ続けた「懸念」という言葉
一方で、位置づけの言葉とは別に膨らみ続けたのが、中国の行動に対する「懸念」だった。友好と警戒が並走する、いわばダブルトラックの時代である。
日本は2010年、GDPで中国に抜かれた。2012年末には、中国が公文書上の日本の位置づけを、米国やロシア、EUと並ぶ「大国」から、韓国や東南アジアと同列の「周辺国」に格下げしていたことも判明する。中国は強気になった。2013年版外交青書には、中国の軍事力増強や空母「遼寧」就航などに対し、「日本を含む地域・国際社会の懸念」という表現が初めて登場する。これが2016年版では「深刻な懸念」、2019年版では「重大な懸念」へと強まっていった。
背景には米国の対中認識の変化がある。トランプ政権、バイデン政権を通じて、中国は米国にとって「最大級の戦略的挑戦」として位置づけられ、日本の外交青書も2023年版で中国を「最大の戦略的な挑戦」と表現した。
■「重要な隣国」という新しい現実
だがその前提が揺らぎ始めた。トランプ第二次政権の2025年版NSSは、安全保障の最優先地域を東アジアから西半球へ移した。中国に対する激しい批判は後退し、米国の覇権疲労が透けて見える。中国はこれを、自国への再評価の兆しとして読み、日本が台湾問題で前線に立つことを警戒した。
こうして日本の2026年版外交青書には、「重要な隣国」「戦略的互恵関係」「建設的かつ安定的な日中関係」という関係維持の言葉と、「深刻な懸念」「重大な懸念」「最大の戦略的な挑戦」という警戒の言葉が同居することになった。
中国にとって、米国のプレゼンスが相対的に弱まる中で、日本が東アジア安全保障の最前線に立ち、台湾海峡問題でも前面に出ることは看過できない。その変化を見てアジア太平洋諸国も欧州も、そして米国も日本に期待している。日本政府はそうした環境を踏まえたうえで、中国を位置付けたといえよう。世界が見守る中で、私たちは真に「重要な隣国」にどう向き合うかを、考えなければならないのだ。(了)