〔52〕ソ連崩壊で大幅に改称された中央アジアの地名 小牟田哲彦(作家)

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〔52〕ソ連崩壊で大幅に改称された中央アジアの地名

ソ連が崩壊して中央アジアやコーカサスの国々が独立した翌年(1992年)、私が通っていた高校では、社会科の副教材に関する補正資料が全生徒に無料配付された。入学時に用意していた社会科用の地図帳に掲載されている世界地図が、ソ連の解体によってあまりにも現状と合わなくなりすぎてしまい、日常の社会科の授業に支障をきたしてしまう恐れがあったため、版元が急遽、関連するページ全ての差し替え版を作ったらしい。今なら版元の公式サイトで差し替えページのPDFをアップするだけで済ませるかもしれないが、あちこちで地名が変わったり新しい国家が一気に10以上も誕生したりして小手先の修正にとどまらなかったためか、オールカラーできちんと綴じた小冊子になっていた(画像参照)。

帝国書院版の「高等学校社会科地図補正資料―旧ソ連・東ヨーロッパ情報―」の表紙(1992年製作)。「ソ連の解体によってできた国」が表紙に列挙されている

中央アジアでは、5つの新国家が旧ソ連から独立した。それによって世界地理の学習時に新しい国の名や位置を覚えることになったのはともかく、ロシアやロシア語由来の地名が次々に各国の現地語に合わせて改称されたので、うろ覚えだった地名の知識がさらに混乱した。キルギスの首都はフルンゼ(当地出身のソ連の指導者名)からビシュケクに、カザフスタンの首都(当時。その後アスタナへ遷都)はアルマアタ(ロシア語で「リンゴの父」)からアルマトゥ(カザフ語で「リンゴの里」)へと変更された。国際的な知名度が高い首都の名前も改称されるほどだから、それ以外の地方でもあちこちで改称された。

ただ、それらの改称名を地理の勉強で覚えてから10数年後に現地を旅行したら、鉄道駅にその後も旧称が使われ続けていたケースがあり、私のような外国人旅行客にとっては都市名と駅名が異なるため混乱しやすかった。ビシュケクの東方に位置する湖・イシククルへ向かう鉄道駅の終点は、町の名前はバリクチに改称されたが、駅名は2006年当時でもソ連時代のルイバチェ(ロシア語で「漁師」)のままだった。中国との国境駅はソ連時代末期の開業当初からドルジバ(ロシア語で「友好」)と名乗り、カザフスタンが独立した後もロシア語由来の駅名が長らく維持された。ようやくカザフ語の「友好」を意味するドストゥクになったのは、21世紀になってからである。

中央アジア諸国での地名変更は、ロシア語由来の地名を現地語に切り替える主旨にとどまらない場合もある。トルクメニスタンでは初代大統領の独裁化に伴い、カスピ海に面した港町をクラスノヴォーツクから同大統領の称号でもあるトルクメンバシ(「トルクメン人の長」というトルクメン語)に変更したり、カザフスタンの新たな首都に至ってはソ連時代のツェリノグラードからアクモラ、アスタナ、ヌルスルタン、アスタナと頻繁に改名している。ヌルスルタンとは初代大統領の名で、2019年の改名から3年余りで失脚したら首都名もアスタナに戻された。ソ連崩壊後の中央アジアの紀行文を読むときは、こうしたさまざまな事情による地名の変動を頭に入れていないと、別の場所の話を読んでいるように錯覚してしまうおそれがある。


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