第480回 フィリピン、ラモス元大統領の思い出(下)  直井謙二

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第480回 フィリピン、ラモス元大統領の思い出(下)

フィリピンのラモス元大統領は「フィリピン2000」と銘打った経済の立て直し策に着手した。スビック米海軍基地跡の広大な土地を経済特区に指定して整備し、外国企業の誘致を勧めた。日本政府も1991年ODAによる開発援助を発表し、マニラの南100キロのバタンガスに58億円をかけた港湾設備を建設するプロジェクトに乗り出した。ところが港で働いていた住民が立ち退きに反対しプロジェクトはとん挫した。

 

経済復興を焦るラモス政権は発砲して住民を追い出し、住居を破壊した。駆けつけると住民の家は跡形もなく、跡地は有刺鉄線で囲まれていた。日本政府はODA供与の条件である平和で合法的な住民移転に抵触すると懸念を表明した。あわてたラモス元大統領は自らバタンガスに赴き、話し合いで解決することを約束した。その4日後、フィリピンを訪れた村山元総理にODAの実行を強く促した。総理の訪問を前に形だけでも取り繕う話し合いだったようだ。

2か月後、日本大使館前はプロジェクトに反対する住民500人で埋まった。フィリピン政府はバタンガスから10キロ離れた場所に一部を補助する形で新たな移転先を造成したが、移転先は水が出ないため、遠くから運ばれた水を買わなくてはならない、職場に通う足も確保できないと住民は訴えた。そしてODAが決まった後は対話にも応じないと不満を漏らした。

ラモス元大統領はアキノ元大統領と異なり、定例記者会見を開き、それには外国人記者も参加することができた。継続されるはずの住民との対話はどうなったのか質問した。元大統領とっては都合の悪い質問だが丁寧に応じてくれた。その後いつの間にかデモは消えた。
この会見をきっかけにラモス元大統領は筆者の名前を憶え、手を挙げると名前を呼んでくれた。

ただ、筆者の名前は発音しにくいらしく出身地のパンガシナン州の方言を利用し、「ケンジ・ナオイ」に近い「ケンドウ・ナワイ」という呼び名をくれた。元大統領によれば「幸せ者」という意味だという。

大統領官邸に招かれ握手をした時のフランクで明るい元大統領の表情も忘れられない。(写真)マレーシアで開かれたアセアン首脳会議でラモス元大統領にインタビューを申し込んだとき、音声担当者がマイクを忘れてきて冷や汗をかいたが、間違いは誰でもあると10分ほど雑談しながら待ってくれたこともあった。

ドゥテルテ大統領から南シナ海問題担当特使を要請され就任したが、方針の相違からすぐに辞任した。ラモス元大統領の復活はないのだろうか。

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