第478回 フィリピン、ラモス元大統領の思い出(上)  直井謙二

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第478回 フィリピン、ラモス元大統領の思い出(上)

93歳のマレーシアのマハティール氏が昨年首相に帰り咲いた。90歳になるフィリピンのラモス元大統領の再登場はないだろうか。ラモス元大統領の名が世界的に知れ渡ったのは1986年2月の黄色い革命だ。大統領選挙でマルコス元大統領が圧勝したが、不正な開票作業が明るみ出て国内外の批判が強まっていた。筆者もマニラ郊外の倉庫で開票されないまま山積みされた投票箱を見つけた時は、不正が大規模だったことを実感した。2月末、マルコス側についていたエンリレ元国防相とラモス元参謀長が反旗を翻し軍が割れた。民衆はこの動きに呼応し、ついにマルコス元大統領は大統領官邸から国外に脱出し黄色い革命が成功した。後を継いだアキノ元大統領をラモス氏は支え続けた。

 

政権に不満を持つ軍の一部がクーデター騒ぎを何度か起こしたが、そのたびにラモス氏は粘り強く交渉し平穏を取り戻した。マルコス元大統領の独裁が終わり明るい未来が開けたかに見えたが、経済はマルコス政権時代より悪化したのだった。

アキノ政権はマルコス元大統領の息のかかった官僚を無差別に追いだしたため、行政手腕のすぐれた官僚が大幅に減ってしまった。良家の子女だったアキノ元大統領は側近だけで周りを固め、庶民の意見にあまり耳を傾けなかった。

アキノ元大統領に何度か記者会見を要請したが、接見できたのはたった一度だけだ。政権末期、91年6月ピナツボ火山が大噴火し、アメリカ軍基地にも重大な被害が及んだ。すでに東西冷戦構造が崩壊、ソビエトの脅威はアジアでも消滅していた。巨額な費用をかけて基地を修復する理由がない。基地の使用料などでフィリピン経済を潤していた米軍が撤退を決定した。そそくさと撤退式を終え、基地は空っぽになった。(写真)

直後、クラーク米空軍基地を取材すると滑走路は火山灰に覆われ、管制塔は壊れていた。
スビック海軍基地もすぐそばまで噴火による泥流が迫っていた。電力を含めたライフラインそれに海外投資もダメージを受け、期待を寄せいていた多くの市民が落胆した。

市民が「Brown Out」と呼ぶ計画停電が頻発。冷房を前提とした窓の開かないマンションは蒸し風呂状態となり、冷蔵庫の食品が全て駄目になった。自家発電装置が設置済みだというの看板を掲げるレストランが繁盛した。筆者が勤務していたマニラ支局でも、生中継の時は大型の自家発電機を使った。生中継中に停電すれば重大な放送事故になるからだ。そのような最悪の経済状況の中、ラモス元大統領は政権を引き継いだ。

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