「中国帰国者」って知っていますか? 第4回 日中国交正常化なれども… 興津正信(日本語教師)

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第4回 日中国交正常化なれども…

本年2022年は日中国交正常化50周年である。50年前の1972年9月29日、北京において日中両国の共同声明が調印された。

これによって、日中双方で大使館が開設された。北京に開設された日本大使館には、日本への帰国手続きが容易になったと知った中国残留日本人からの帰国希望の意思を示す手紙が殺到したという。長らく帰国の途が閉ざされていた中国残留日本人にとっては、今度こそ国が自分たちを帰国させてくれるという期待はあったであろう。

この国交正常化の同年12月に、「日中友好手をつなぐ会(以下、「つなぐ会」)」が設立された。中国残留日本人の帰国支援を目的とした民間団体である。会員の中には自分の子どもを中国に残してきてしまった人たちが多くいた。だからこそ、この帰国問題にいち早く反応し、行動を起こしたのであろう。まずは中国残留日本人の日本にいる肉親を捜すために、新聞による公開調査を実現させた。とくに『朝日新聞』が1974年8月15日に掲載した第1回公開調査の記事「生き別れた者の記録-広がる中国残留の肉親捜し運動」は大きな反響を呼んだ。この記事をきっかけに、各新聞で中国残留日本人に関する記事が多く掲載されるようになり、置き去りにされていた中国残留日本人の帰国問題を世間一般に訴えることになったのである。

日本政府も1975年から厚生省による報道機関を使った公開調査を始めている。しかし、所管部署になった厚生省からは「厚生省援護局は、本来復員軍人のための部局」であって、「一般の未帰還者についての調査や帰国後の援護は都道府県の仕事」だとし、情報収集の通知を出すだけであった。また「(満蒙)開拓団を送り出したのは、当時の農林省だったのか、拓務省だったのか」と言い、だから、政府の一体責任と言われても困るというふうに、国としての責任意識が薄かったようである(『朝日新聞 縮刷版 1974年11月』513頁)。

また政府は、残留日本人の帰国支援対象について、最初、永住帰国の受入れしか考えていなかった。確かに、中国残留日本人の中には、すでに生活基盤を中国で作っていて、永住帰国する意思がないという人々もいた。しかし、それでも、せめて日本にいる家族との再会や墓参りのために一時帰国は認めてほしいという要望が多かった。さらに、中国の周恩来総理から、中国人の妻となった日本人婦人等にも「里帰り」として全面的に帰国支援すべきではないかという提案が出たのである。中国人の妻となった日本人婦人たちには、すでに子や孫までもいることが多い。そのため、永住帰国となれば、今度は中国でできた家族との離散という新たな悲劇を生むことにもなり得る。戦後30年近く、「棄民」扱いされ、祖国日本をまったく見ることができなかった人々に突如永住帰国の意思の有無を判断させるのは酷であろう。周恩来総理の提案は、まずは「里帰り」という名目で一時帰国をし、それでしっかりと永住帰国をするかどうかを見定める機会を設けるべきだという配慮の表れだと思われる。こういった中国側からの働きかけもあって、日本政府は1973年10月、国費による一時帰国の援助を決定したのである。

厚生省の公開調査が始まった翌年、「つなぐ会」は肉親捜しについて、公開調査だけでは限界があると早くも感じてきた。特に身元がはっきりしない残留孤児については、日本で肉親を捜している人と面接させるほうが効果は大きいとし、厚生省に日本で肉親捜しをする訪日調査を実施するよう要望を出した。その際、面接調査のための中国残留日本人の旅費及び滞在費も国が負担するようにと要望したのである。しかし、日本政府の反応は鈍かった。それは、1959年に公布された「未帰還者に関する特別措置法」で一度死亡宣告を受けた中国残留日本人(第3回コラム参照)もいて、日本にいるその遺族らにはすでに弔慰料を支払っており、戸籍が抹消された「死人」だから、その「死人」となった中国残留日本人に調査費は出せないというのが日本政府の態度であった。さすがにこの政府の態度を見限ったのか、「つなぐ会」は独自に調査隊を編成し、現地中国で聞き取り調査を行い、現状打破に奔走したのである。また中国政府も帰国支援の協力は惜しまないと表明した。結局、民間団体、中国政府、そして新聞報道等で形成された世論に後押しされるような形で、日本政府もようやく動き、1981年から厚生省援護局を窓口にした訪日調査が始められるようになったのである。(文中の肩書等は当時のもの)

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