母の初北京

カテゴリ
中国語クイズ・コラム 
タグ
NEWS  傻瓜通讯 

1993年北京。
留学中に母が遊びに来ました。当時病み上がりで、大学の “招待所” zhāodàisuǒ(来客宿泊所)へ泊めるわけにゆかず、5つ星の “长富宫饭店” Chángfùgōng fàndiàn(ホテルニューオータニ長富宮)を張りこみました(高かった…でも私も同宿できたから良いか)。

この “通讯” tōnxùn によく出る “姐” jiě(お姐さん)は、かつて私がメーカー勤めしていた時の同僚です。彼女は前年の東京駐在で、既に母とは親しく、あちこち同行してくれて心強い! “长城” Chángchéng(万里の長城)“故宫” Gùgōng(故宮博物院)など世界遺産は殆ど見ました。“姐” 夫妻はお家へ招き、母に手料理も振る舞ってくれました。ここは元 “林业部” Línyè bù(林業部:林業行政の官庁)の宿舎で、本人らも “贫民窟” pínmínkū(貧民窟)と呼ぶタイヘンな建物でした。詳細はとても書けませんが、母も吃驚。

その次はまた別の同僚のお宅へ(彼女も東京駐在中、我が家へ何度も来てくれました)。解放後は他人の家がびっしり立て込み、昔の風情は失われましたが、それでも押しも押されもせぬ “四合院” sìhéyuàn(四合院)です。“老舍” Lǎo Shě(老舎)の《四世同堂》《Sì shì tóngtáng》(『四世同堂』)を好む母は大喜び。しかし数百年前の建物ゆえ、電気や水は今ふうにはゆきません。おいとまする時、彼女の父上は “四合院” の表門までマッチを10本以上擦り、真っ暗闇の中、母の足元を照らして下さいました。母は帰国後、小田原提灯を1つ求め,北京へ出張する私に持たせ、「これで父上が火傷する心配はなくなった」とご満悦。彼女の父上も「これは珍しい」と喜んで下さいましたが、たぶんあの家の人たちは提灯なんか要らないんだと思います。

母は “王府井” Wángfǔjǐng(ワンフーチン)の夜店を楽しんだその口で、「今度は燕の巣のスープも飲んでみたい」と言います。それで “大三元酒家” Dàsānyuá jiǔjiā(大三元レストラン)を張りこみました。当時、駐在員の間で評判の高級広東料理です。母所望のメニューは全て揃い、本当に病み上がり? というほど聞こし召していました。途中、化粧室へ消えた母が一向に戻ってきません。心配になり見に行くと、丁度折り返してきた母が「1元持ってない?」と聞きます。私「?」。母曰く「化粧室の服務員さんが、人差し指を1本立てて近づいて来るの。分からないからお母さんも同じポーズをすると、服務員さんが頷いて更に迫って来る。きっと有料なのよ。チップかな。1元なのか100円なのか」。高級レストランで化粧室が有料? それに「100円」ってどうして外国通貨になるのかも分かりません。

母を伴い化粧室へ戻ると、人の良さそうなおばさま服務員さんがにこにこ挨拶して下さいます。おばさま曰く「中国人と同じ顔立ちだけれど、(母が)きれいなスカート姿だから、きっと外国人だろうと思ったのよ。『お1人でみえたの?』と尋ねると,(母が)無言でにこにこ指を1本出すので『言葉もできないのにお1人で大したものですね』と言ったのよ」と。私がおばさまに母の勘違いを伝えると「チップなんてとんでもない。面白いお母さんね」とけらけら。母に通訳すると母も大笑い。そして、なんとしてもプレゼントを渡したいと席へ戻り、ハンドバッグからお気に入りの奈良扇子を取り出し、また化粧室へ。おばさまは固辞していましたが、母の迫力にけおされ、おしまいには受け取って下さいました。言葉は通じないけど、最後までげらげら笑ってる中年のおばさま2人でした。


(落合理子)

・・・・・・

《傻瓜通讯ー中国語珍道中》は今回が最終です。これまでありがとうございました。

ほかのクイズ・コラムは<こちら>からどうぞ。


◀ 前回  バックナンバー 


###_DCMS_SNS_TWITTER_###

関連記事

“春( )花开”。

“装忙”。“装” の意味は?

“金无足赤,人无完人。”