筆者は、すでに社会の第一線からは退きつつある「団塊の世代」の後に続く年代なので、日本が高度経済成長に突入する少し前の戦後復興の時期を辛うじて記憶にとどめている。まだ東京オリンピック(1964年=昭和39年)の開催も決まっていない時期で、当時の大きな出来事の一つが高さ333メートルの東京タワーの完成(1958年=昭和33年)だった。この頃の東京都内での人々のつつましいながらも活気に満ちた暮らしぶりは、東京タワー建設の様子が時代背景の一つに盛り込まれていて大きなヒット作となった映画『ALWAYS 3丁目の夕日』(2005年公開)にも描かれているので、若い世代の人たちの中には映像を通じて追体験している方もいよう。
それから60年。人間に例えれば、干支が5回りした還暦に当たる年月がたったことになるが、この間の日本社会の発展、変化はめまぐるしいものがある。ここ20年ほどのパソコンをはじめとするIT(情報技術)の急速な技術革新と併せ、日進月歩という言葉がピッタリの変化の激しい時代だった。日本を先進国に仲間入りさせた高度成長は2回にわたる石油ショックの影響もあって景気が後退。日本経済のあだ花として咲いたバブル景気はあっという間に終わり、後遺症でもあるバブル崩壊のあおりで「失われた20年」と言われる長期のデフレ時代に突入した。近年の政界で一強を誇る安倍内閣が「アベノミクス」という成長エンジンを吹かしてデフレ脱却に取り組んでいるが、まだ道半ばだ。
過去60年の日本の経済・社会の歩みを駆け足で振り返ったが、激しい時代の流れの中で、「街の風景に見る店舗の盛衰」と題して四つの具体例を紹介しながら、個人的な感慨に触れてみたい。変化の驚き、個人的関心という観点から、回転寿司(飲食業界)、薬局(専門商店)、コンビニ(小売業)、宅配便(物流・サービス業)を順次取り上げることとする。
刺身、寿司、天ぷら…。今や世界的に人気の和食の定番だが、昔はこの三つの中では寿司がやはり値段が高く、庶民には高嶺の花だった。しかし現在は、都会の幹線道路沿いなどに大看板ですぐ目につく回転寿司店が各地にあり、家族連れでにぎわっている。広い店内に入れば、座席やカウンターにはタッチパネルが取り付けられ、注文も機器操作で行うようになった。お茶はセルフサービスで湯を注ぐ。目の前のベルトコンベアーで小皿に乗った寿司ネタが次々と運ばれ、好きな小皿を取っていく一世代前の回転寿司店や、それ以前の昔ながらののれんがかかった寿司店と比べると、商法は隔世の感がある。
機械仕掛けで客に寿司を提供する方法の革命的変化もさることながら、かつては値段が高い食べ物の代表格で、正月など祝いの席に出される高級料理だった寿司の大衆化も驚くほど進んでいる。昔、寿司が高価だった理由は、「江戸前」(東京湾で水揚げ)などと呼ばれるネタ(食材)となる魚介類の多くが生鮮品とあって仕入れ値が高い上に、品質・素材のいいシャリ(コメ)や高級焼き海苔を使ったり、腕利きの寿司職人の手間賃(給料)が高額だったりしたことがある。しかし現在は、資本力に物を言わせて大型の回転寿司店を出店すれば、全国各地あるいは海外からの食材の大量入荷によるコスト削減、タッチパネル導入による注文時の省力化などで人件費節減も期待できる。
店のカウンター越しに客の注文に応じて寿司を握っていた職人の世界だった街の寿司店が子供連れでにぎわう大食堂のようなレストランに変わるとは…。半世紀前には想像もつかなかった「飲食業革命」の一こまだ。それでも地方都市にはまだ昔ながらの寿司店が健在で、たまには寿司職人が握る店にも足を運びたい。(続く)