これまで仕事で世界の多くの国や都市を訪れてきたが、来年はこれまで足を踏み入れていない中央アジアの国を訪問する予定となっている。今から25年前の1991年、当時の共産陣営の盟主・ソ連が崩壊したのに伴い新たに独立したカザフスタンで、豊富な天然鉱物資源の輸出などで高い経済成長を続けている中央アジアの新興国だ。来年6月から3カ月の予定で、首都アスタナで万国博覧会(万博)が開催されるのを機に、大学時代のゼミ仲間らとともにアスタナ万博の視察を中心にして1週間ほどカザフスタンを駆け足で訪ねてみようということになった。
カザフスタンは多くの日本人にとって馴染みの薄い国だろうが、意外と関係は深い。この国の最高指導者、ナザルバエフ大統領は親日家で知られており、最大都市のアルマトイから遷都した新しい首都アスタナの都市計画を立案したのは世界的な建築家として知られた黒川紀章氏(故人)で、カザフスタンがアスタナに万博を招致したのも同国の発展ぶりを国際社会に広く知らせようという国家戦略の一環である。
もう一つ、カザフスタンと日本、いや大学時代のゼミ仲間とを結びつけるものが、2010年に大統領の肝煎りで建学されたナザルバエフ国立大学の初代学長がゼミ同窓の勝茂夫さん(65)という人の縁なのである。勝さんは母校でフランス語を専攻した後、東京大大学院で国際関係論を専攻し、修士課程修了後はワシントンに本部がある世界銀行に入った。
国際公務員の世銀マンとして、中米のグレナダを皮切りに、アフリカ西部のコートジボワール(旧国名・象牙海岸)など世界の途上国でさまざまな開発支援プロジェクトに携わり、世銀を辞める前は副総裁として旧ソ連圏の中央アジアやトルコなどの地域の開発プロジェクトを統括する立場にあった。
学生時代からゼミの3年先輩だった勝さんを知る筆者は、世銀マンとなった勝さんが一時帰国する折に会食するなどして世界各地での仕事ぶりを聞いていたが、世銀を早期退職して中央アジアの新興国の大学学長に転身するとは想像もしていなかった。国の発展や開発を担うエリートを養成する大学のトップに日本人、それも世銀で要職を務めた勝さんに白羽の矢を立てたのは、世銀時代の仕事ぶりを知る大統領その人だったというのだから、頼まれた方も「清水の舞台から飛び降りる心境」で大役を引き受けたのに違いない。
勝さんは10代は父親の仕事の関係で当時の西ドイツで暮らしたので、ドイツ語は母国語同様に操り、大学時代に専攻したフランス語、イタリア人の夫人を通じて学んだイタリア語、それに世界共通語の英語と合わせ、欧州4カ国語に通じている。親しいゼミ仲間の間では「日本語が一番たどたどしい」と揶揄されるほどだ。
さて、来年のカザフスタン・ツアーだが、大学時代の恩師N先生(故人)のご自宅での今年の新年会に勝さんが久しぶりに顔を見せたのをきっかけに、「ナザルバエフ大学を一度ご覧になるために来てください」という誘いの言葉に、N先生の奥様をはじめ一同が「おもしろそう」と応じたため、話が一気に決まったというわけだ。全くの偶然だが、恩師のN先生は生前、大学でのグローバル人材の育成に心血を注がれたが、学者・研究者とは違う国際公務員の仕事を選んだ教え子の一人が、遠い中央アジアの親日国で国の将来を担うエリート養成機関のトップになったというのも何かの縁かもしれない。