第331回 敬愛する友人の連載コラム出版のお手伝い―人生の交錯(中) 伊藤努

カテゴリ
コラム 
タグ
アジアの今昔・未来 伊藤努  News & Topics  霞山会 

第331回 敬愛する友人の連載コラム出版のお手伝い―人生の交錯(中)

筆者が敬愛する人生の大先輩、日高敏夫さん(79)がここ5年ほどの間に書き溜めたベトナムの少数民族や文化、伝統、国民性をテーマとした連載コラムが1冊の本として近く刊行される運びとなった。日高さんは昭和35年(1960年)の大学卒業後、現在の新日鉄に入社し、海外事業畑を歩んだ。そして、今から25年ほど前の独立後はアジアに進出する日系企業に対する経営コンサルタントとして、多忙な日々を送ってきた。筆者は6年ほど前、勤務先がベトナムでのニュース発行事業を開始する際に、南部の商都ホーチミン市に拠点を置く日高さんの会社と業務提携を結んだため、運良く知遇を得ることができた。

それからというもの、仕事以外にもプライベートのお付き合いが増え、鉄鋼マン時代のさまざまな経験や、アジアの中でもベトナムの魅力にはまり込んでしまい、ついには同国への進出日系企業を側面支援するコンサルト会社を立ち上げるに至った経緯、さらにはベトナムとの深い関わりから得た興味深い知見などを教えてもらうようになり、現在に至っている。前回の本欄では文豪・夏目漱石の諸作品読解のキーワードとして、「生きた証の相続」という視点から高校時代の恩師の親子を紹介したが、今回は「男同士の友情の大切さ」という観点から、古武士のような元企業戦士が温めた夢の一端を描いてみたい。

日高さんは京都大法学部出身で、大学では国際法を専攻した。学生時代の親友二人とは半世紀余りにわたる水魚の交わりが続いており、その二人(企業専門弁護士と元外交官)とご一緒の歓談の輪に入れていただくのは、若輩者にとって光栄でもある。人生の先輩である日高さんを「友人」に例えるのは大変失礼ではあるが、お付き合いを重ねるにつれ、単なる知人ではなく、「男同士の友情」のような個人的な感情を抱くようになったのは確かである。漱石の「こころ」にも、年の離れた先生と「私」の付き合い、信頼関係の深まりが描かれていたが、そうであれば、日高さんを人生で出会った年長の「友人」と呼んでも礼を失することにはなるまい。

さて、日高さんの現地の貴重な写真付きベトナム事情紹介コラムは勤務先の情報媒体で月1回のペースで回を重ねていったが、ある分量に達したら、是非とも1冊の本にまとめたいとの強い希望が寄せられるようになった。もちろん、ひと肌脱ぎたい気持ちは強くあったが、出版社がなかなか見つからず、焦りが出始めたのは当然の成り行きだろう。

しかし、人生はどう転ぶか分からない。たまたま、筆者が2年前に急逝された大学の恩師、N先生の著作選集の編集に携わっていた関係で、全8巻に上る選集の出版元の私立大研究所長のK先生に日高さんの連載コラムの出版を打診した。すると、即日OKの返事を頂戴し、「ベトナムに魅せられて―民族が織りなす文化と人間模様」が刊行の運びとなった。メールを使って連載コラムの内容のすばらしさを簡潔に伝えたのはもちろんだが、出版の決め手となったのは、恩師の著作選集の編集作業の過程でK先生が筆者を評価してくれ、その私が出版を強く勧めるコラムであれば、「間違いない」と即決したとのこと。何ともうれしい事態の展開である。

コラムの出版をお手伝いしたいとのかねてよりの約束が果たせたことは大きな喜びである。二人で相談して本のタイトルを決めた新著のために「企業戦士と物書き、二足のわらじの足跡」という刊行に寄せた拙稿を、日高さんとの友情を思い出しながら、一気に書き上げた。
(この項、続く)

 

《アジアの今昔・未来 伊藤努》前回  
《アジアの今昔・未来 伊藤努》次回
《アジアの今昔・未来 伊藤努》の記事一覧

関連記事

“大陸花嫁”の追い出しによって一段と対立深める中台海峡両岸―双方強気な姿勢崩さず 日暮高則

第1回 近衞文麿とその周辺 嵯峨隆

〔35〕香港から深圳への地域限定ビザ 小牟田哲彦(作家)