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第333回 見えぬ糸で巡り合った不思議な出会い―人生の交錯(下) 伊藤努

第333回 見えぬ糸で巡り合った不思議な出会い―人生の交錯(下) 伊藤努

第333回 見えぬ糸で巡り合った不思議な出会い―人生の交錯(下)

明治の文豪・夏目漱石の作品読解のキーワードをヒントにして「人生の交錯」と副題を付けた拙稿コラムの第3回は、さまざまな活動を通じて改めて知った人の縁の不思議さの一例をご紹介したい。

40年以上も前に卒業した公立高校では硬式野球部に所属していたが、その後のOB会などの場を通じて多くの先輩方と面識を持つようになった。野球部の後輩を含め、年代の違う高校同窓との話は青春時代の一時期、同じスポーツに打ち込んだ者同士として、話題は尽きない。

そうした中のお一人が、母校が夏の甲子園大会出場に最も近づいた年のチームの主将を務めていた4歳年上のSさんだ。温厚で人望があったため、神経質ながら気が荒い実力派エースのなだめ役に打ってつけということで、主将に起用されたのだろう。主将として、チームワークの良さを引き出したことも県内強豪高を相手に常に互角の勝負ができた一因だったと聞く。

そのSさんの3年上の先輩が同じ中学出身の兄で、兄の方は3年のときのチームでは要の投手を務めた。兄弟が同じ高校野球部の先輩・後輩という例は珍しくはないが、兄は高校卒業後、筆者と同じ大学のボート部に、弟は有名私大の空手部に入った。いずれの運動部も厳しい練習で知られ、Sさん兄弟は文武両道を貫いた野球部先輩ということで、筆者は陰ながら尊敬の念を抱いていた。

これまでの例は一般世間にもよくある人との出会いと言えるが、最近あった野球部の「シニアOB会」に出席すると、野球部先輩で、商社マンとして海外駐在が長かった兄のSさんと初めてお会いし、高校・大学が同じということでたちまち意気投合した。

たまたま、筆者が野球部創部60周年を迎えるに当たり、部史を編集していることを話すと、仕事の労をねぎらってくれたばかりか、話題が互いの経歴にも及び、大学の国際関係論ゼミで公私とも世話になったゼミ1期生のHさんがボート部の3年先輩であることを初めて知った。故郷の長崎に居を構えたゼミ先輩のHさんとは今もメールをやりとりする間柄だが、野球部シニアOB会の翌日、兄のSさんとの出会いを伝えると、「大柄でボート部エースだったS君とはOB会でいつも顔を合わせる。今度、君のことを聞いてみるよ」とすぐに返信があった。

母校のボート部は入部すると、荒川の戸田にある艇庫兼合宿所で4年間、仲間と起居を共にし、厳しい練習の日々を送るということで、部員同士の結束は固く、従って、OB会活動も活発だ。野球部、ボート部、そして大学のゼミを通じて何かの糸に引かれたような先輩との出会い。兄のSさんいわく、「ボート漬けの大学生活というわけで、専攻語のスペイン語の勉強はおろそかになったが、商社マンとしては悔いのない人生を送ることができた」。さらに、「海外で仕事をしたという伊藤君の記者活動も知りたいね」と言って、近く、二人で一献を交わすことになった。厳しい練習の日々だった高校野球部での経験は、「人生の交錯」「不思議な出会い」という思わぬプレゼントを送ってくれたようだ。

 

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