社会人となってからの外国語(英語)との付き合いは、学生時代の試験対策などとは関係なく、実際に使いこなす実践編となるが、前回でも触れたように、どのような職業かあるいはどういう状況で英語を使うかによって、スキルアップの方法は異なってくる。国際的なビジネスの最前線に立つ企業人であれば、仕事上の意思疎通が最優先されるだろうし、特派員のような報道記者であれば、外国要人への取材や記者会見で自分の知りたいことを十分理解し、必要なら聞きたいことを質問するレベルの英語力は最低限必要となる。
また、仕事で使うのではなく、外国に旅行したり、海外から日本を訪れる外国人に対して通訳をしたり、案内をしたりということであれば、単に英語を話し、聞くということだけではなく、相手に質問したり、説明したりといった具合に背景知識をしっかりと持っていなければ、「使える英語」とは言えない。このレベルのことは、本人の日ごろの英会話の上達と知識・情報の入手を怠らなければ、十分対応できる。後は場数を踏み、経験を積むことで、スムーズな会話ができるようになるのは請け合いだ。
筆者の経験では、例えば東南アジアなど英語がネイティブではない地域で使う英語は、正確な文法にばかり注意が向かって話すことができなくなるといったことにならないよう、少しくらいはブロークンな英語であっても、まずは勇気を持って話してみることだ。相手の言う英語が十分理解できなかったり、あるいは自分の話す英語を相手が理解できない場合は、聞き返す決まり文句の英語表現があるので、遠慮せず、聞き返してみることをお勧めする。
また、こちらが英語で説明するような場合は、事前に話す内容をある程度は頭の中で準備、整理しておくことで、相手とのやりとりで余裕を持つことができる。こうしたことも、経験を積んでいけば、英語の表現方法などが上達していくはずだ。英会話はミスすることを恐れたり、恥ずかしがったりせずに、一歩を踏み出すことが大切だ。コミュニケーションとは本来そういうものではないか。英語を使う立場から逆に、外国人が日本語で話し掛けたりしてきたときに、その日本語が完璧なものでなくとも、ある程度は理解できるように、こちらのブロークンな英語も相手は分かってくれるくらいに思っていた方がいい。
さて、筆者の大学時代の恩師は高校時代に第一外国語で勉強したフランス語をはじめ、大学で専攻した中国語、自力で勉強した第2外国語の英語を使いこなす一流の国際人だったが、そうした先生であっても、米国の大学や国際会議での講演で使う英語は決して流暢なしゃべり方ではなかった。英語が上手な他大学の国際政治専攻のある教授が「N先生の英語は高校の教科書レベルで使われる英語でしたね」と述懐したのを聞いたことがある。その教授の述懐は決してN先生を貶めるのが目的ではなく、自分が伝えたい内容は、どれほど高い水準のものであれ、英語の表現方法は高校時代に学んだもので十分通用するということである。
もちろん、専門的な講演であれば、テーマに直結するキーワード、専門用語などは難しい単語を使うことになるが、講演の聞き手にとっては、専門用語は説明の必要はなくなり、講演会は貴重な情報交換の場となる。私事となるが、筆者が現在使う外国語(英語)は防衛や軍事に関する専門記事や専門家の論文の読解とその翻訳チェックだが、何が難しいかというと、英文の内容の理解ではなく、適切な日本語への言い換え(翻訳)だ。英語の活用法はいろいろあるが、それぞれの人の目的に沿って学習し、異文化理解に役立てるだけでなく、英語文献の読解によって世界をより広く、かつ深く知る道具として活用してほしいものだ。語学学習には終着駅がないというものの、生涯の学びの対象となり得るわけで、知的好奇心の旺盛な方には打って付けのものではないか。そうであれば、昔、日本や中国で使われていた古文や漢詩の世界を彷徨うのも同じ価値があると筆者は考えている。