第199回 駆け出しA記者の試練と挑戦 伊藤努

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第199回 駆け出しA記者の試練と挑戦

最近、就職試験の際に少しばかり相談に乗ったことがある駆け出しの記者と会い、近況を聞く機会があった。新聞社に入社したA君だが、今は地方支局に勤務し、入社3年目ということで、誰もが初めに経験する警察取材(サツ回り)を終え、県庁に持ち場を変え、教育や環境などの分野を担当している。

久しぶりに会ったA君からは、筆者の駆け出し時代とは違う取材現場の様子や職場の人間関係を聞き、若い記者を取り巻く環境が結構厳しいことを知ることができた。新聞社やテレビ局といったマスコミの就職は以前ほど人気は高くないとはいえ、それでもかなり厳しいと思われる入社試験を通った新人記者が配属後、実際の仕事の内容や職場での複雑な人間関係に幻滅し、早々と会社をやめてしまうケースをよく耳にする。

A君の場合も同様で、いろいろな人に話を聞き、問題意識を持ちつつ原稿に書くという記者の仕事に魅力を感じながらも、勤務する地方支局の先輩記者たちのサラリーマン根性というか、自らのことは顧みずに上司や同僚の陰口ばかりをたたく仕事への姿勢に少なからず疑問を覚えたという。記者を志望したときの動機は、自ら取材して書いた記事を通じて読者に問題を提起し、社会をより良い方向にもっていこうとする気持ちがあったはずだと思われるのに、上司の顔色ばかりをうかがい、いい仕事をしている同僚記者への嫉妬かどうか、足を引っ張るような経験を短い間に何度も経験したのだという。

A君の場合、同じ職場にいた二人の先輩が尊敬できる記者で、上司や勤務する地方支局の現状に対する不満が同じだったことで、何とか精神的なバランスを保つことができたものの、もし、この二人がいなかったらと思うと、休職・退職という選択も頭をよぎったそうだ。それほど深刻に悩んだということだろう。

A君の話を詳しく聞いていくと、上司がやっていることはパワハラ以外の何物でもないとの印象を強くしたが、そうした問題について社説などで警鐘を鳴らしている当の会社が職場で実際に起きているパワハラに見て見ぬふりをしている様子には釈然としない。建前と本音、理想と現実の使い分けをしているのであれば、社説などを通じた言論も読者の心には届くまい。

A君は、自らが目指す記者としての仕事ができるようにするために、目前にある取材をこなしながらも、それだけでは足りないとの思いを深めていた。大学改革で現在、リベラルアーツ(教養)教育の復権が唱えられているが、A君も、記者という狭い職業人としてではなく、幅広い問題に関心をもった市民としての勉強を怠らないようにしたいと決意を新たにしていた。仕事は若い人を成長させる。


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