第3回 「光輝く島」の朴訥青年 伊藤努

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第3回 「光輝く島」の朴訥青年

インド東部のインド洋に浮かぶ島国スリランカ。筆者の世代には、現在の国名よりも「セイロン」の方がなじみがある。スリランカという国名の意味は「光輝く島」だが、過去数十年にわたって断続的に続く内戦で、いつしか新しい国名のいわれも忘れ去られたかにみえる。仏教徒で多数派民族のシンハラ人とヒンズー教徒で少数派タミル人の政治的対立がなければ、恐らく「光輝く島」として外国から多くの企業を誘致し、観光客も集めていたすばらしい国と思われるが、いつ終わるとも知れぬ両者の武力紛争で、「破綻国家」の烙印さえ押されかねないありさまだ。

インドネシアのスマトラ島沖合を震源とする二〇〇四年末の大地震に伴うインド洋大津波でスリランカは甚大な被害を受けたが、その半年ほど前にこの国を訪れた。ナショナルフラッグであるスリランカ航空のお膳立てで世界各国の記者を招く取材旅行に参加したが、数々の世界遺産を訪れたことよりも、一週間にわたる取材旅行に同行してくれた地元の朴訥な青年、B君の笑顔が忘れられない。

大柄で、南アジア地域の男性の容貌で特徴のある大きな瞳を持つB青年は、寡黙なら外国人に対して威圧感を与えるタイプの若者だった。一流の日本語通訳になるという夢があり、筆者ら日本人記者団一行はたちまち、彼の日本語の先生という関係になった。その日本語は流暢とは言えないものの、学習を始めてまだ数年、その上、日本に一度も行ったことがないというハンデを考えれば、上達は早いというのが私たちの見立てだった。

英語はともかくも、現地の言葉を全く解せない筆者たちがB青年の日本語の使い方にあれこれと難癖をつけるのはもちろん傲慢のそしりを免れないが、彼は私たちの予想に反して、言葉使いのミスの指摘に感激し、そのたびごとに手帳に何やら書き込んでいた。

何でも、B青年によれば、通常の日本人観光客のグループの場合、日本語の使い方を問題にされることはなく、今回のような厳しい指摘はほとんど初めての体験とかで、大変勉強になると話してくれた。スリランカでは、世界遺産に登録されている壁画で有名なダンブラーの石窟寺院や、平原にそびえる台形の丘の上に立つ不思議な宮殿跡などの遺蹟を訪ね歩いたが、兵糧攻めに遭えば難なく陥落してしまいそうなシギリアロックの城跡を見学していた際、ふと浮かんだのが松尾芭蕉の句である。

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声

B青年はもちろん、俳句という日本独特の世界最短の詩型を知らなかった。その遺蹟から宿泊先のホテルに戻るマイクロバスの車中では、私たち日本人記者の連中とB青年の間で、即席の俳句講座が開かれた。スリランカの世界遺産を見学しながらふと脳裏に浮かんだ芭蕉の句の世界を、日本語を通じて日本文化に愛着を覚え始めた異国の青年が懸命に理解しようとする姿に少なからぬ感銘を覚えた。民族や宗教の対立により、「光輝く島」の将来ある若者が好きな世界に羽ばたけないとしたら、国家の大きな損失である。

 

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