数年前、古代から海のシルクロードの要衝として栄えたベトナムのホイアンを訪ね、歴史文化博物館の絵の前でくぎ付けになった。その絵は華僑が中国からホイアンを目指す途中で夜間嵐に遭い、今にも小舟が沈没しそうになっている有様を描いたものだ。波にのまれそうだがわずかに龍の目が船頭に描かれているのが分かる。(写真)
龍宮に住む龍は水神で海の魔物を退治してくれると信じられているが、小舟は大波に翻弄され沈没しそうだ。絵の構図から葛飾北斎の富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を思い出したが、遠くに陸地が見える北斎の絵より切羽詰まっている。そこに天からこれも海の神、媽祖が舞い降り救いの手を差し伸べようとしている。九死に一生を得てようやく目的地のホイアンに到着できた華僑が多かったことを示した絵画だ。
多くの華僑が古代から東南アジアにやってきていたことはすでに書いた。(アジアの今昔・未来 第40回アンコールトム・バイヨンの壁画)16世紀後半にはホイアンにも日本人町があって南蛮貿易が盛んに行われていた。
徳川幕府が鎖国令をだした直後の17世紀半ば中国では明がほろび清が起った。異民族の支配を嫌った漢民族が阮朝をたよって大量にホイアンに流れ込んだ。このため人口が減っていく日本人町に漢民族が流れ込み中華街が拡大した。清の末期になるとジャンク船も大型になりさらに多数の華僑が渡ってきた。
このため日本橋と銘打った橋を含め日本の風情はほとんど残っておらず日本人観光客のなかには落胆する人も少なくない。異民族の政権下のみならず中国は歴史的に国に対する意識は低く家族や同業、同郷それに親戚などで構成される幇への帰属意識が強い。ほとんどの華僑は男で家族を残し一旗揚げたら帰国するつもりで出国する。福建省などの沿岸に華僑が寄付した大学などがみられるが実際に帰国した華僑は少数だ。
福建には「華僑10人のうち3人は死に6人が海を渡り定住し1人だけが帰国する」という諺もある。香港に望夫山という海を臨む丘がある。頂上に子供を背負い、海を見つめ帰ってこない夫を待つ女性の姿に似た岩が立っている。諸説あるが海外に出かけた夫を待ち続け岩になったという説もある。
家族のため地域のため危険を冒してまで出稼ぎに出た華僑がなぜ帰国しないのか。国への帰属意識が低いこともあるが、華僑が東南アジアで働いている間に帰国の意思が薄れていくようだ。
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