新型コロナウイルスが米中対立の火に油を注ぐ(中) 戸張東夫

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<トランプ大統領が科学者の警告を無視した>

ノーベル経済学賞受賞者で、米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授の解説は明快である。

「トランプ大統領は今回、初期段階で新型ウイルスを巡る科学者の警告に耳を貸さず、対策を講じなかった。重大な過ちです。避けられた死は多くあったはずです。実は、トランプ氏は大統領になり、米疾病対策センターの予算を削りました。感染症を含む疾病の危険から国民を守る、国の研究機関です。更に、オバマ前政権によって国家安全保障会議に設けられた疫病対策部局を解体した。まさに今回のような危機に備える国の体制を弱めてしまったのです。世界一豊かな米国ですが、コロナ禍で露呈したのは、医療現場に人工呼吸器・防護服・マスク・検査薬などの必需品が欠如しているという惨めな現実でした。」(『読売新聞』2020年4月26日)

米疾病対策センターが(2020年)2月12日新型コロナウイルス感染の有無を早期確認するための検査キットを全米各地および一部の国の医療機関に送付したところ一部に欠陥があり回収するという事件が発生、このため検査に遅れがでたという。米国の誇る医療機関の予想外の事故だったので大きな話題になった。また新型コロナウイルスが米国で大流行したなら医療スタッフだけでなく病院のベッドや人工呼吸器、防護用具などが十分でないため深刻な事態になるなどと報じられている。(『ニューヨークタイムズ』2020年2月13日“Test Kits Sent to States Are Flawed, C.D.C. Says, Further Delaying Results”および同紙2020年3月1日“Readiness of U.S. for an Epidemic Raises Fears About Shortages”に詳しい。)またトランプ大統領は2020年3月4日ホワイトハウスにおける記者会見で新型コロナウイルスに対するトランプ政府の政策を批判されると、オバマ前政権の決定に妨げられたためだと答えた。米紙『ニューヨークタイムズ』はトランプ発言が事実と異なることを説明しながらこれを報じた。(“Under Fire Over Testing Delays, Trump Points a Finger at Obama,”THE NEWYORK TIMES, THURSDAY, MARCH 5, 2020)

<新型コロナウイルスの感染源は何処か>

トランプ大統領をはじめ米国政府首脳はもちろん一般の人たちも、中国から始まった新型コロナウイルスのパンデミックなのに米国の感染者が中国の感染者の16倍などという現実を目の当たりにして、中国や中国人に対して不快感を強めているに違いない。米国国務長官のポンペオさんは(2020年)5月20日の記者会見で「中国共産党の失政により、世界が被った損害は9兆ドル(約970兆円)近くに上る可能性がある」とか「ウイルスによって約9万人の米国人が死亡し、3600万人以上が職を失った。世界的には30万人が死亡している」などと放言し、中国に対する不快感を隠そうともしなかった。(『読売新聞』2020年5月21日夕刊)

また米民間調査機関ピュー・リサーチ・センターが2020年4月21日発表した世論調査によると、米国内で中国の印象を「好ましくない」と回答した人は前の年より6ポイント多い66パーセントとなり、調査を始めた2005年以来一番多かったという。このように、反中国感情が米国の人々の間に広がっていることとあるいは関係があるのかもしれないが、ここにきて新型コロナウイルスの感染源が米中間の新たな争点として浮上してきたのである。感染源は湖北省武漢市にある武漢華南海鮮批発市場(批発は卸売の意)というマーケットと報じられている。華南地区最大の市場で、「海鮮(魚介類)」という名称だが水産物だけでなく生きた動物も扱う総合市場だという。新型コロナウイルスの感染者の中に市場の従業員らが混じっていたことから、市当局が市場を閉鎖、それ以後同市場で扱った野生動物が感染源といわれている。ただ中国当局は感染者の中に同市場関係者が含まれていたものの、ウイルス自体は別の場所からきたものと推論されると繰り返し強調している。感染が起きたのは中国の武漢だが、新型コロナウイルスは武漢で発生したものではないといいたいのである。これが各種メディアによって伝えられた筆者を含む我々の理解する新型コロナウイルスの感染源である。

<感染源は武漢のウイルス研究所?>

たぶん読者諸兄の認識とそれほどかけ離れてはいないであろう。だが米当局は武漢にある海鮮市場が感染源だという従来の定説に納得しておらず、「感染源は武漢にある中国政府の研究施設」だと主張し始めた。もちろん中国はこれを認めず、米中両国の新たな論争点になってしまったのである。ここで米当局のいう「武漢にある中国政府の研究施設」とは中国科学院武漢病毒研究所(Wuhan Institute of Virology, Chinese Academy of
Sciences 中国科学院武漢ウイルス研究所)。中国科学院は中国における科学研究の最高機関で国務院に所属している。武漢の病毒研究所はこの科学院直属のウイルス学研究所。1956年に設立され、国家重点実験室に指定されており、1000人を超す研究員を抱えている。米国の研究機関と共同でウイルス研究を行ったこともあるという。

米当局者が新型コロナウイルスの感染源を武漢にあるウイルス研究所ではないかと疑っていることを筆者が知ったきっかけは『ニューヨークタイムズ』の解説記事だった。新型コロナウイルス問題で米中関係が悪化して米国のタカ派が張り切っている(“Contagion Worsens U.S.-China Ties and Bolsters American Hawks”)という見出しの記事の中に「新型コロナウイルスの感染源は武漢の海鮮市場ではなく、武漢にある研究所らしい。そんな噂が米国の議会筋や当局者の間でささやかれている」とそれこそ何気ないコメントが挿入されていたのである。(2020年2月20日)だがその時は武漢に中国科学院のウイルス研究機関があることを知らなかったこともあって、重視することはなかった。

しかし4月なかば米紙『ワシントン・ポスト』にこのウイルス研究所に触れた次のような興味深い事実が報じられたのである。

(1)米当局が感染源と疑っている施設は中国科学院武漢ウイルス研究所である。
(2)米政府内にはウイルスがこの施設から外部に出たとの見方がある。
(3)2018年1-3月米国の駐武漢総領事や在北京大使館員らが訪問し、コウモリのコロナウイルスを研究する専門家らと面会した。

このような事実がわかっているのなら、ウイルス感染源説に米当局はかなり真剣に取り組んでいるに違いない。そう考えた。しかし同時に米中両国は何かメディアに隠していることがあるに違いない。そうでなければ突然中国のウイルス研究機関が話題になるはずはないだろう。感染源についても何か両国間に了解事項があるのではないかという疑惑のようなものを感じないわけにはいかなかったのである。



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