国際的な司法判断や非難にもかかわらず中国の南沙諸島の実効支配や尖閣諸島への領海侵犯は止まらない。日本政府を含めた国際世論は中国共産党や習近平政権を強く非難している。その一方で歴史的に振り返ると明や毛沢東政権時代などほんのわずかな期間を除いて古くから華僑として漢民族の膨張は続いていた。12世紀に建立されたアンコール遺跡、バイヨンの回廊の壁面彫刻に華僑がジャンク船に乗って訪れている様子が描かれていることはすでに書いた。(第40回 アンコールトム・バイヨンの壁画)
商才があり勤勉な漢民族は東南アジアの経済を握った。当初、漢民族と先住民との間で確執はあったが、次第に華僑も土着化し華人の時代になると通婚も進んだ。南沙諸島や西沙諸島で対立するベトナムも華僑華人がベトナム経済に果たす役割を認めている。
故オアイン氏(ベトナムの経済学者)
古くは明に代わって清が政権についたとき多数の漢民族がベトナムに流れたが、漢民族はメコンデルタにベトナム最大の穀倉地帯を形成した。ベトナム戦争直後の疲弊した経済を復活させたドイモイ政策では新たな華僑が活躍した。政策をリードしたベトナムの経済学者故オアイン氏はドイモイが成功するかどうかは華僑のネットワークを利用できるかどうかだと断言した。(写真)無論、華僑華人による弊害がないわけではない。たびたび中華街の焼き討ち事件やマレーシアのマレー人優遇政策などが華僑華人の行動を制約したが、台頭する華僑華人はタブーとされていた政権中枢部にも進出するようになる。
一方日本は東南アジアとは異なり漢民族の活躍は著しく制限された。横浜や神戸などの中華街で食堂を営んだが、華僑華人の人口が700万人に及ぶインドネシアやタイなどに比べ日本はわずか50万人程度だ。華僑華人に対する接触率も低く理解が進まない。東南アジア諸国で外国からの来訪者に対し柔軟に器用に対応している場面に何度も遭遇した。島国ではないことから歴史的に交流が盛んで自然に身に付いたようだ。嫌中が90%を超える日本では南沙問題を巡って中国側に立つカンボジアやラオスの姿勢を理解しにくい。
スプラトリー問題で対立するフィリピンのドゥテルテ大統領でさえ軸足をアメリカから中国に変える姿勢を示し国民から支持を得ている。アメリカの国力低下が懸念される今、安全保障をアメリカだけに頼るのではなく3000年にも渡る漢民族の膨張とどう向き合うか考える必要がありそうだ。
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