第366回 ベトナム・クチのトンネル歴史遺跡  直井謙二

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第366回 ベトナム・クチのトンネル歴史遺跡

ベトナムの首都ホーチミン市とカンボジア国境の町モクバイの中間にあるクチのトンネル遺跡を訪ねた。

1980年代半ば、陸路でカンボジアに入る折には何十回も通ったはずであるが、ベトナムは高度経済成長で様変わりし、見覚えのある光景に出合うことはなかった。ベトナム戦争の勝敗を分けたと言われる秘密軍事ルート、ホーチミンルートはベトナムとラオスに網の目のように張り巡らされ、その総延長は13,000キロに及ぶ。

クチのトンネル歴史遺跡もその一部だ。急速に崩壊が進む南ベトナム政府に最後のとどめを刺すため機能したと言われるクチ・トンネル跡を利用して戦争展示場が作られている。トンネルはクチ以外にもあちこちに掘られた。17度線近くのクワンチ省ビンモック村の深さ25メートル長さ2キロのトンネルについてはすでに紹介した。(ベトナム戦争のトラウマを引きずるアメリカ[第300回、302回])

クチのトンネルは戦略的なものでトンネルの深さは3メートルほど、作戦室や病院も設けられているビンモック村のトンネルとは比較にならないくらい小さい。40歳代半ばでビンモック村のトンネルを取材した経験からクチのトンネルぐらい簡単に通りぬけられると軽い気持ちで入った。ところが途中で暗い通路の段差が気になって進めなくなった。ビンモック村の取材から25年、様変わりしたのはベトナムだけでなく古希を迎えた自分も同様と苦笑いが浮かんだ。

クチにはトンネル以外にベトナム軍が考案した落とし穴や手作りの手りゅう弾も展示されていた。落とし穴の下には長さ40センチほどの鋭い槍が数十本置かれていて、アメリカ兵が落ちれば重傷を負い、運が悪ければ死亡する。(写真)重傷を負ったアメリカ兵士は戦友に担がれ基地に戻り体験を語った。重傷の仲間の姿と落とし穴の恐ろしさを知った多くのアメリカ兵に厭戦気分がまん延した。

ベトナムを勝利に導いた故ヴォ・グエン・ザップ将軍をインタビューしたときの言葉を再び思い出した。「ベトナムは最初からアメリカに勝つつもりなどなかった。ただアメリカ兵がもうベトナムはこりごりだと逃げ出すように仕向けただけだ」。

槍や手りゅう弾はトンネルの中にある鍛冶場で造られていた。槍はアメリカ軍の砲弾や爆弾の不発弾を利用して製造されたものだ。手りゅう弾にはアメリカ兵が飲み終え捨てた缶ビールの缶が使われていた。アメリカの物量作戦は同時にベトナムに兵器の材料を提供していたのだ。

写真1:ベトナム・クチの落とし穴、穴の下には長さ40センチほどの鋭い槍が数十本置かれていて、アメリカ兵が落ちれば重傷を負い、運が悪ければ死亡する。

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