第368回 緻密に計画されたアンコールワット建立 直井謙二

第368回 緻密に計画されたアンコールワット建立
東京オリンピックに向けて建設が計画された国立競技場は資金をはじめ計画段階で問題が露呈し、政治家や官僚の責任が追及された。巨大なプロジェクトを緻密な計算と計画で成し遂げたアンコール王朝とは対照的だ。
1キロ四方の大伽藍に64メートルの祠堂がそびえ、本堂に沐浴用の水槽をしつらえたアンコールワットは現代の建築技術を駆使しても建設は困難だと言われる。国立競技場は資金不足で計画を変更したが、建設に着手する前にアンコールの王たちはまず労働力を推測し、労働力を養うための食料の量を割り出した。そこから主食のコメを生産するための灌漑の規模を推測した。さらに事前に100分の1のスケールの寺院を建設し、計画をシミュレーションしたという説が有力だ。
100分の1のスケールの寺院は東北タイにあるピーマイ遺跡だ。(写真)アンコールワットとピーマイ遺跡は両方ともメコン川の支流に位置していて船で行き来ができる。アンコールワットはスールヤバルマン2世によって12世紀に建設されたと言われているが、ピーマイ遺跡はスールヤバルマン1世によって数年前に建立された。ピーマイ遺跡の境内の一辺はおよそ100メートルだが、形はアンコールワットそっくりだ。

参道には7つの頭を持つ大蛇ナーガをあしらった欄干があり、神々が降り立つと言われる祠堂の形もよく似ている。(写真)アンコールワットと勘違いしそうだ。アンコールワットに掘られているヒンズーの創造の神話「乳海かくはん」のレリーフも規模は小さいがピーマイ遺跡にもみられる。
スールヤバルマン2世はピーマイ遺跡建設で得られた経験をもとに10万人規模の労働者が必要なことを割り出した。10万人を支えるためのコメの量を計算し、トンレサップ川の灌漑工事に着手しバライと呼ばれる巨大な四角形の人工湖を建設、コメの生産に欠かせない水を確保した。トンレサップ湖は魚影の濃い巨大な湖で充分な動物性たんぱくを供給した。豊かな農業と巨大な寺院の建設は当時の王たちの威信を高めた。
トンレサップ川の灌漑は今でも使用されていてカンボジアのコメの生産に寄与している。ポルポト政権は重農主義を打ち出し、都市から市民や文化人までを追いだし強制労働に駆り立て灌漑工事に乗り出した。カンボジアが最も栄えたアンコール時代を理想としていたといわれる。用意周到なアンコールワットの建設に学ぶべき点が多い。
写真1:カンボジア・アンコールワット
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