第332回 バンティアイ・スレイの思い出(1) 直井謙二

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第332回 バンティアイ・スレイの思い出(1)

アンコールワットやアンコールトムと並んで観光客に人気があるのは東洋のモナリザと呼ばれる女神の壁面彫刻で知られるバンティアイ・スレイだ。バンティアイ・スレイは都が置かれたアンコールトムから北東に40キロ離れている。1992年のカンボジア内戦終了までポルポト派の支配地域だったこともあって観光客には近づけない寺院だった。内戦がまだ終結していない90年、日本画家の平山郁夫画伯がバンティアイ・スレイを描くことを強く望まれ同行取材した。

出発の前夜、アンコール遺跡の町、シェムリアップを散策した。小さな寺の境内に村人が集まり影絵が行われていた。本堂に作られた舞台には幕が張られ、幕の裏には裸電球が一つぶら下がっている。数人の人が切り抜いた紙の人形を動かし、人形のシルエットが幕に映し出される仕掛けだ。無声映画の弁士のような語り手が進める話に従って数個の人形を動かす。影絵で楽しむ村人の表情に長い内戦がまもなく終わる期待感と安堵感が浮かんでいた。

一転して出発の朝はものものしい騒音で覚ました。カーテンを開けるとホテルの前に庭に装甲車と50人ほどの武装した兵士が出発の準備をしていた。ガイドに何かあったのかと聞くと、これからバンティアイ・スレイに向かう我々を地雷やポルポト兵の狙撃から守る部隊だという。(写真)護衛の装甲車の後ろに我々が乗ったバスが続く。装甲車の床の鉄板は厚く、対人地雷を踏んでも被害はない。道路はいつしか消え、荒れ地をバンピングしながらバスが進む。ガイドによればバライの底を走行中だという。バライはアンコール王朝が稲作の灌漑を目的に都の東西に掘った人口の池だ。バスに揺られながら地図を見るとバンティアイ・スレイを訪れるにはすでに水が枯れた東バライを横切らなくてはならない。

ドスンという音とともに最後部座席に乗っていた日本人ガイドが椅子から落ち、腰を痛めた。バライを通過すると揺れがやや収まった。改めてバライの大きさを再確認する。巨大なアンコール寺院の建設には10万人の労働者が従事したと言われている。

10万人の労働者を養うための大量のコメの生産を支えたのはシェムレアップ川と巨大な溜池バライだったと言われている。古代クメール人の緻密な計算に改めて驚かされた。1時間以上も費やし、ようやく寺院に到着、バンティアイ・スレイは荒れ地ポツンと建っていた。

写真1:護衛のため同行した装甲車と兵士

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