第318回 拍子抜けした「前アンコール遺跡」 直井謙二

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第318回 拍子抜けした「前アンコール遺跡」

カンボジアのアンコールワットを初めて見たのは1986年9月だった。まだ内戦中で夜はポルポト派が支配し、観光客の姿がまったくなかった。(第22回「昨今のアンコール」)
その後取材のために十数回訪れ、ベトナムメコンデルタのオケオに眠る前アンコール遺跡へのあこがれが募った。

1世紀にインドネシア半島に誕生した初めての国家である扶南。扶南の繁栄を支えた海のシルクロードの要衝オケオから遥かローマから運ばれた金貨や中国からもたらされた仏像が出土している。オケオはメコンデルタの河口に位置し、インドのヒンズー教やアンコール文化がもたらされたといわれている。

90年、ベトナム政府にオケオ遺跡の取材申請をしたが、なかなかビザが発給されなかった。
文化遺産の取材だし、ベトナムにとっては観光の後押しになるはずでビザが出ない理由が分からなかった。メコンデルタは前アンコール遺跡が存在することが示すようにもともとはカンボジア領であった。カンボジア内戦の発端も民族主義のポルポト政権がベトナムからメコンデルタを奪い返そうとしたことから始まった。ビザ発給が遅れた理由は日本の報道陣がメコンデルタに入り、カンボジアとベトナムの領土問題を取材しようとしていると疑われたからだったことがわかった。

ベトナム外務委員会の協力を得てようやくビザを取得し、ホーチミンからオケオに向かう。
90年代のベトナムのインフラはぜい弱でフェリーと車を何度も乗り換えなくてはならなかった。外務委員会のガイドがようやくオケオの遺跡近くに到着したというので見渡してみたが、田んぼが広がるだけで遺跡らしいものは皆無だった。さらに徒歩で30分ほどかかるというのだ。

機材を担いで田んぼの細いあぜ道を長時間歩いた。メコンデルタの支流にはところどころ丸木橋が渡されていて、機材を落とさないように慎重に渡らなければならなかった。「着きました」というガイドの声であたりを見回したが、粗末な家が1軒と石ころだらけの大きな穴があるだけだった。思わず「ここですか」と拍子抜けしてしまった。

メコン川が長い間に運んだ土砂でかつて港だったオケオが内陸部になった点は理解できたが、遺跡らしいものは何もなく、穴にある石や土器の破片などが残っているだけだった。粗末な石造りの家に入ると壁や天井に遺跡から掘り出した石や土器を建材代わりに使っていた。(写真)巨大なアンコール遺跡からは想像もできない「前アンコール遺跡」だった。

写真1:壁の建材に使われた遺品

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