ウクライナのヤヌコビッチ前大統領が民衆の反政府デモをきっかけに政権を失い、ウクライナ情勢も混沌としてきた。前大統領の国の経済低迷を顧みない汚職と贅沢な暮らしぶりが明らかになるにつれ、1986年2月群衆に追われるようにハワイに亡命したフィリピンの故マルコス大統領を思い出す。
アメリカは「共産主義の浸透を防ぐ」という名目でベトナム戦争を続け、フィリピンにはクラーク空軍基地とスビック海軍基地など極東最大の米軍基地があった。旧ソビエトと対峙していたアメリカは膨大な資金でマルコス独裁政権を支えていた。ベトナム戦争後も日本の商社などがマルコス元大統領に巨額な賄賂を贈り、日本でも問題になった。
時代の動きと民衆の怒りに鈍感になっていたマルコス元大統領は、大統領官邸になっていたマラカニアン宮殿からヘリコプターでの脱出を余儀なくされた。大統領の去った宮殿に群衆が押し掛け、内部の絢爛豪華な調度品やイメルダ夫人の3,000足に及ぶ高級な靴が白日の下にさらされた。(写真)その後マラカニアン宮殿は、長期にわたってマルコス元大統領の汚職と贅沢な暮らしぶりを展示する博物館になり、日本のメディアもこぞって報道した。
マニラから南へおよそ60キロのタガイタイにあるタール湖のほとりに「空中のマラカニアン」と呼ばれる巨大な別荘があった。別荘は当時のアメリカのレーガン大統領を招き、パーティを開いて米比関係の改善を図ることを狙って工事が進められていた。結局、民衆とアメリカに見限られたマルコス政権は崩壊し、レーガン元大統領も訪れず、別荘も完成しなかった。
マルコス政権崩壊直後、別荘を取材した。標高700メートルに建つ別荘は涼しく、広いベランダに立つとタール湖が見渡せ、大きなプールも目を引いた。放置され荒れ果てた別荘と、国を追われた寂しい独裁者の末路が重なった。
ヤヌコビッチ元大統領も最初はEU寄りだったが、財政の困窮からロシアからの巨額な資金援助を受け入れ、やがて私腹を肥やすようになった。マルコス元大統領も初めから国民を顧みなかったわけではない。貿易の自由化など革新的な経済政策で失業率を5%台にさげるなど成果を上げたが、反共産主義政策によるアメリカの援助を境に私腹を肥やすようになった。ウクライナとフィリピンという地理的には距離はあっても大国が用意した巨額な資金を前に初心を忘れ、汚職に傾いて行った独裁者という点で二人のイメージがダブる。
写真1:政変直後のマラカニアン宮殿
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