第260回 ロシア人観光客が目立つタイのリゾートパタヤ 直井謙二

第260回 ロシア人観光客が目立つタイのリゾートパタヤ
タイの首都バンコクからほど近いパタヤは青い海と白い砂浜で有名なリゾート地だ。ベトナム戦争当時はアメリカ兵の休息地として発展した。近くのウタパオ米軍基地やベトナムのアメリカ軍基地からやってきた大勢の米兵で、青い海とアメリカ様式のバーは溢れかえっていた。
ベトナム戦争後、アメリカ軍基地は撤退したが、その後もタイ・米合同軍事演習コブラゴールドが行われている時などは米兵の溜まり場になっていた。そして東西冷戦構造が崩れた90年代までパタヤは日本人や欧米人など西側諸国の観光客で賑わっていた。1980年代、筆者も家族連れでパタヤを訪れたが、日本のイモ洗いのような混雑した海岸しか知らなかった子供は大喜びだった。
ベトナム戦争後社会主義国になったベトナムやカンボジアなどでは旧ソビエト人観光客が目立った。カンボジア取材では首都プノンペンでキャビアを賞味した。日本では高価でとても口に入らない上質のキャビアに舌鼓を打った。
東西冷戦構造のさなかでもカンボジアで通用する外貨はドルとタイのバーツだけだった。旧ソ連からの観光客は自国の通貨ルーブルより国際的な価値が認められるキャビアの缶詰めを持参し、カンボジアで売り、観光費に充てていた。当時の市場では旧ソビエト製の上質なキャビアを比較的安く買う事が出来た。

東西冷戦構造は観光客も分断していた。今年の初め、パタヤを再び訪れロシアの観光客が多いのに驚いた。パタヤ近くの小さな島、コーランもロシア語の会話で溢れていた。家族連れやカップルが青い海で泳ぎ、真冬のロシアでは想像もつかないような南国リゾートを満喫していた。
「アジアの昨今・未来」の134回の「米越軍事演習とベトナム戦争」で合同軍事演習に空母ジョージワシントンが参加したことを書いた。東西冷戦構造の崩壊はかつて敵同士だったベトナムとアメリカの軍事合同演習を実現した。一方でかつて米兵の休息の場として発展したリゾート地パタヤをロシア人が埋め尽くしている。旧ソビエトがベトナムを支援したベトナム戦争終結からまもなく40年が経つ。パタヤを訪れたロシア人のほとんどはパタヤがアメリカ兵の休息地だったことを知らないだろう。
歴史的に交易の十字路だったタイ。外国人への対応能力に優れたタイ人にとって客がアメリカからロシアに変わっても何の問題もなさそうだ。
写真1:ロシア人観光客で賑わうパタヤ
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