第168回 24年ぶりに出国したスー・チーさんの演説 直井謙二

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第168回 24年ぶりに出国したスー・チーさんの演説

世界経済フォーラム東アジア会議に出席するためミャンマーの民主化指導者で最大野党、国民民主連盟(NLD)の党首でもあるアウン・サン・スー・チー議員が529日、24年ぶりに出国した。

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年前の1988年と言えば、ビルマで全国的な反政府デモが起きた年だ。たまたま母親を見舞うためイギリスの自宅から一時帰国し、反政府デモを目の当たりにしたスー・チーさんは担ぎ出されるように反政府デモのリーダーになった。その後、軍事政権は自宅軟禁などスー・チーさんへの弾圧を繰り返し、何とか国外に出そうとした。一旦、国外に出てしまえば入国を拒否されてしまう事を懸念したスー・チーさんはミャンマーから出国する事を拒み続けた。

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年ぶりに国外に出たスー・チーさんは東アジア会議とミャンマー労働者が多く働くタイの下町で演説した。演説の中でふたつの言葉が印象に残った。

ひとつは「夜バンコク国際空港に降り立った時、まばゆいばかりの光を見て、30年前のラングーンとバンコクは同じぐらいの光の量だったが、今やバンコクの光が圧倒的に多くなってしまった」と語った事だ。

筆者が85年バンコクに赴任し初めて空港に降り立った時、ターミナルは倉庫のようだった事、空港から都心までの高速道路をゾウが歩いていた事、そして東京に比べて暗かった事を思い出す。

88年反政府デモで大勢のビルマの学生がタイ国境に逃れたが、軍事政権が学生に帰国を呼びかけた。学生は帰国後、激しい弾圧が加えられる事を危惧し、外国人ジャーナリストが同行する事を条件に帰国を申し出た。筆者も学生に同行しマンダレーやラングーンを訪れた。(写真)近代化で遅れを取っていたが、イギリスの植民地だった面影を残す町並みはきれいだった。

その後タイは空前の外国投資ブームで沸き立ち、ミャンマーは国際社会からの経済制裁を受け、両国の経済力に大きな差が生まれた。

スー・チーさんのもうひとつの言葉は「雇用を促進するための外国投資」を呼びかけた事だ。

ミャンマー取材の折に筆者の専属運転手として雇用していたJ氏と食事をしながら話し込んだ事がある。J氏は英語のほかに流暢なタイ語を話す。なぜタイ語を話せるのかと理由を聞いてみると、名門のラングーン大学を卒業したが、職が見つからなかったためバンコクに来て、次々と建てられる高層ビルの労働者として働いた経験があるからだという。その後、優秀なJ氏をミャンマーの記者として雇用した。

スー・チーさんの演説に万雷の拍手を送ったタイの下町に集まった出稼ぎ労働者の中にJ氏のような優秀な人材が埋もれている事は間違いないだろう。


写真1:国旗を持って行進するタイから帰国したビルマの学生(1988年)

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