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第170回 カンボジア・タケオ支局の思い出 直井謙二

第170回 カンボジア・タケオ支局の思い出 直井謙二

第170回 カンボジア・タケオ支局の思い出

東南アジア取材のため長期にわたりバンコクやマニラそれにハノイ支局に勤務していたが、それ以外に、短期だがカンボジアのタケオ臨時支局にも赴任した事がある。

長い内戦が終わったカンボジアでは1993年、国連主導による総選挙が実施され、日本の自衛隊は国道3号線の補修工事を担当し、施設部隊が派遣された。初めての自衛隊の国連平和維持活動(PKO)は専守防衛の枠を超える可能性があると国論を二分し、日本のメディアも大掛かりな取材体制を強化した。

自衛隊の駐屯地はカンボジア南東部のタケオ置かれたため、報道機関は急ごしらえのタケオ支局設置し、テレビ局は各局共同の衛星伝送設備を設置した。支局と言っても高床式の民家を1軒借り受け、カメラ2、3台と簡易型の映像編集設備それに無線設備があるだけだった。(写真)夜は蚊帳を吊ってマットレスかハンモックでごろ寝をする。食事は近くのレストランに出かけた。夜になっても気温は下がらずクーラーなどのような設備は当然ないから眠れず、庭にある井戸から井戸水を汲み、体が冷えるまで頭から冷たい井戸水をかぶる。やっと眠りについても2時間ほどうとうとするとまた汗でびっしょりになり、再び井戸水をかぶって体を冷やさなければならず、取材の前に現地での日常生活と戦わなければならなかった。

そんな環境の中、取材陣を家族のように世話してくれる家主の人情に随分助けられた。若いスタッフは昼間の取材のストレスを発散するため酒場に出かけると深夜まで帰らないのだが、筆者が夜中に目を覚ますと家主のおばあさんは高齢にもかかわらず起きている。紛争を経験したおばあさんは家族全員が無事帰宅しなければ心配で眠れなかったのだ。日本人のスタッフを家族のように思い心配していることが分かり、若いスタッフは早めに帰宅するようになった。

当初心配されたポルポト派兵士の攻撃もなく自衛隊施設部隊による国道3号線の舗装は順調に進んだ。自衛隊員が1年間も苦労して舗装した道路が完成し、政府与党の政治家は口々にカンボジアに貢献できたとPKO活動の成功を口にした。確かに道路は整備され、車の往来はスムーズになった。

PKO活動が終わり、1年ほど経って再びタケオを訪れてみた。整備された道路は再び荒れ果て見る影もない。自衛隊の道路整備は軍備を運搬するための戦略道路仕様で耐久性は考えていない事が分かった。地元のカンボジア人が寄ってきて「道路がダメになったが、自衛隊はいつまた来てくれるのか」と質問され返事に窮した。

兵舎だったプレハブも荒れ、がらんとした部屋は撤退日に大きな丸をつけたカレンダーだけが窓から入る風に揺れていた。


写真1:民家を借りうけたタケオ支局

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