ベトナムは多民族国家だ。最も人口の多いキン族の先祖は中国の南岸部に住んでいたが、越が楚に敗れ、南下するなど長い時間をかけてベトナム北部に到達したと考えられている。そのほか、北部の山間を中心にタイ族やメオ族など山岳民族が住み、南部メコンデルタにはカンボジア人や中華系ベトナム人が多い。
ベトナム中部とメコン川上流にチャム族が住んでいるが、チャム族は海洋民族だ。チャム族はインドネシア系の民族で、2世紀末にはベトナム中部にチャンパ王国を築いた。ベトナム中部を車で走ると、あちこちにチャンパ王国が建立したヒンズー寺院の塔を見ることができる。
中でもクアンナム南西のミソンの遺跡は4世紀末に建てられた。シバ神を祭る神殿は見る者を圧倒する。(写真) レンガを積み上げた塔が長い間崩れることなく、風雨に耐えた。チャム族がレンガを張り付ける高度な接着技術を持っていたと考えられている。また、ダナンのチャンパ博物館にはヒンズーの神々の彫刻が展示されている。
カンボジアのアンコール・トムのバイヨンの壁面彫刻にクメール兵とチャンパ兵の象部隊の行進が描かれており、12世紀ごろにはアンコール王朝を脅かす勢力を持っていたことが分かる。
海洋民族チャムの王国チャンパは、「海のシルクロード」の要衝として栄え、御朱印船貿易などで沈香をはじめとするチャンパの名品が日本にももたらされた。
13世紀以降海洋に乗り出したアラブ人がアジアにも到達し、チャンパはイスラム教を受容した。
中国のベトナム支配が弱まるにつれてキン族の南下が始まり、チャンパ王国は17世紀には亡国の悲運に見舞われる。漁業を生業としている人々が多いチャム族は、メコン川をさかのぼってカンボジアのトンレサップ湖にも到達した。
アンコール遺跡を建立した古代クメール人も多くが稲作農民であったように、クメール人は漁業が苦手だった。
トンレザップ湖からは淡水魚のほかに、本来海に生息していた魚も混じり、古代トンレサップ湖は海とつながっていた。乾季のトンレサップ湖は水量が減り、相対的に魚影が濃くなる。魚は塩漬けにされ、「プラホック」と呼ばれる塩辛にされ、貴重なたんぱく質として貯蔵される。
ポル・ポト政権下やカンボジア内戦時には多くのベトナム人が殺害されたが、トンレサップ湖で被害に遭ったチャム族も少なくない。チャム族はベトナムやカンボジアの少数民族として静かな生活を送っている。
写真1:ミゾンのチャンパ遺跡
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