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第152回 ナタデココの悲劇 直井謙二

第152回 ナタデココの悲劇 直井謙二

第152回 ナタデココの悲劇

何の変哲もない食べ物が、突然ブームになることがよくある。1993年、日本で突然ナタデココ・ブームが起きた。産地のフィリピンはナタデココ・ラッシュに沸いた。ナタデココは寒天に似た食感と味だが、ナタデココというかわいらしい名前もブームを加速したようだ。

 ココナツ農家が軒を並べるマニラに近いラグーナ湖付近を取材した。(写真)

第168回 直井.jpg

街道を車で走ると、家ごとに「ナタデココあります」の看板が掲げられていた。一軒のココナツ農家を訪ねてみた。50歳ぐらいの主婦の下、10人ほどの家族や親戚が庭で忙しく生産に追われていた。ココナツの実からココナツジュースを取り出し、酢酸を加えると短時間で白い塊になる。塊を2センチ角にカットすれば、ナタデココの出来上がりである。

日本から買い付けに来た業者は大量に買い上げ、どこの農家も収入が跳ね上がった。家の中には洗濯機や冷蔵庫などの真新しい家電がならび、工場主の婦人は宝石や金のネックレスを見せながら、「もうナタデココのおかげ、でも日本人はなぜ急にナタデココが好きになったのかしら」と笑顔で話していた。

一方で日本のナタデココ・ブームはフィリピンの庶民に影響を与えた。ナタデココが庶民のおやつ、ハロハロから姿を消した。ハロハロとはタガログ語で何でもかんでもいいという意味で、果物や豆、それにナタデココを入れ、甘い蜜をかけた日本の「みつまめ」のようなものだが、ナタデココが高騰したため、庶民のおやつに使えなくなってしまった。

ところが日本のナタデココ・ブームはわずか1年で去り、ラグーナ湖周辺の生産地の様相も一変した。

1年前、生産に追われていた農家を訪ねてみた。10人ほどが忙しく働いていた庭は静まり返っていた。酢酸が入っていたポリタンクが転がっているだけで、ナタデココをカットするのに使われていた作業台はなくなり、出来上がったナタデココを入れる巨大なポリタンクには腐ったナタデココが半分ほど入っていて、ハエが浮かんでいた。工場主の主婦の表情も一変して暗く、「なぜ日本人は急にナタデココを食べなくなったか」と聞かれ、答えに窮した。

隣の農家はもっと不運だ。近所がナタデココで儲けているのを見て、1カ月前からナタデココの生産を始めようと設備を買い、生産を始めたばかりだった。一度も出荷することなく設備を購入するための借金だけが残り、途方に暮れていた。一方で、ナタデココは無事、ハロハロに戻っていた。


写真1:ココナツヤシ

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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