第148回 洪水で明らかになったタイの物づくり 直井謙二

第148回 洪水で明らかになったタイの物づくり
「東洋のデトロイト」と呼ばれるほど自動車をはじめとする多くの工場が長い間、操業停止に追い込まれた。経済と同様にグローバル化した工業生産は他国の工場にタイで生産された部品が供給できない事態を引き起こした。
操業が止まって初めて、タイの工業生産が巨大化しているのを認識した日本人も多かった。部品供給を再開させるため、日系企業は生産設備を日本に移すとともに、タイの技術者の日本への入国を政府に働きかけた。
11月末から始まったタイ人技術者の入国は最終的には3000人に及びそうだ。期間は半年で、日本で生産を再開するとともに日本人技術者に技術指導を行い、部品供給を維持すると言う。日本人技術者が真剣なまなざしでタイ人技術者の技術指導を受ける姿がテレビで放送された。
10年ほど前まで東南アジア諸国が日本に技術移転を求めていたのが逆転した形だ。タイはこうした生産現場の技術以外に開発技術にも乗り出している。
4年ほど前、東京で泰日工業大学設立の準備委員会を取材したことがある。(写真)日本の企業や日本の技術系の大学を卒業した技術者が集まり、日本へ技術移転を求めるだけでなく、タイ人による技術開発を目指すという。

泰日工業大学は2007年6月に開校、自動車工学やコンピューター工学などの科目を持つ工学部や情報学部、それに経営学部などが設置されている。
タイに進出した日系企業が望んでいたタイ人技術者の技術向上はもとより、タイ人による新たな技術開発が期待されている。
2年ほど前、山梨のリゾート地を訪ねた時、タイ語で話す電話の声を聞いたことがあった。懐かしくなって近づいてみると、電話の主は日本人に混じって別荘の建築現場で働くタイ人だった。
タイ北部のチェンマイ出身のTさんで、筆者のつたないタイ語で久しぶりに会話が弾んだ。話しているうちにTさんは日本人に雇われ働いているという先入観が間違っていたことが分かった。
Tさんはきれいな日本語を話す大工の棟梁で、日本人の大工さんを指揮しながら別荘を建てていることが分かり、赤面した。タイの物づくり技術は筆者の想像よりはるかに進んでいた。
写真1:東京で開かれた泰日工業大学準備会
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