第122回 友好関係が長続きしない中越両国 直井謙二

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第122回 友好関係が長続きしない中越両国

今から30年ほど前、中越戦争が勃発した。ベトナム戦争当時は支援をしてくれた中国が突然、ベトナム北部に侵攻した。理由はその直前のベトナムのカンボジア侵攻だ。

中国はカンボジアのポル・ポト政権を支援していた。カンボジアとベトナムがメコンデルタ付近で国境紛争を起こし、ベトナムは反政府勢力のヘン・サムリン政権を支援し、カンボジアに侵攻、1979年1月、首都プノンペンからポル・ポト政権を追い出した。

その2カ月後、中国は懲罰を理由にベトナム北部の国境の街ランソンを猛爆、ランソンに住んでいたベトナム人は列車などで避難し、ベトナム軍が反撃、中越戦争が始まった。

91年にパリで和平協定が結ばれると、中越も友好関係を取り返した。その直後、ランソンを訪ねた。国境線沿いに両国が敷設した地雷を撤去する作業も終わり、ランソンは復興に沸き立ち、建設ラッシュが続いていた。破壊された民家の横でレンガを積み上げ、新たな家を建てる。国境は中国側が高く、ベトナム側が低い。中国側に向かう急な坂道を大勢の人が登っていく。遠くで見ると、アリが物を運んでいるように整然としている。中越の国境貿易だ。

近づいてみると、ベトナム人が天秤棒を使ったり、背に担いで食料品や猫などの動物を運んでいる。(写真) 中にはアルマジロに似たセンザンコウの入った籠を運んでいる人もいた。漢方薬の材料になるらしい。

一方、中国側から降りてくる人もいる。農機具や家庭用品、それに肥料などいずれもベトナム側の商品より付加価値が高いものだ。

現在は鉄道による輸送が大幅に増えたが、中国側から輸出される商品はDVDプレヤーなどますます付加価値の高いものが増えてきている。

このため、2007年には双方で貿易額は160億ドルに上るが、中国側の大幅な輸出超過に陥っていて、ベトナム側は改善を求めている。

中越戦争直後はハノイの中華街は閑散としていたが、今では中越戦争すら知らない両国の世代が時代を背負うまでになってきている。

とはいえ、中国とベトナムは資源が期待される南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島などをめぐって対立し、現在も40人ほどのベトナム人漁民が中国側に拘束されている。

中国側は南シナ海について台湾やチベットに匹敵する中国の「核心的利益」に当たると表明しているが、ベトナムもアメリカ軍との合同演習を繰り返すなどの対抗措置を取っている。

国境には両国の友好のシンボル「友誼館」が建っている。文字の示す通り、友好関係が続くことを望みたい。


写真1:関税前のベトナム人

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