第120回 ロケット砲が飛び交うポル・ポトの葬儀 直井謙二

第120回 ロケット砲が飛び交うポル・ポトの葬儀
カンボジアのポル・ポト政権が200万人ともいわれる自国民を虐殺したことは、ハリウッド映画「キリング・フィールド」などでよく知られている。近年、経済成長著しいカンボジアでも自らの手で虐殺を描く「エネミー・オブ・ザ・ピープル」と「ロスト・ラブズ」の2本の映画製作が始まった。
なぜ、国民の大虐殺が行われたのか、東南アジアを取材する記者にとっても長い間の謎だった。「エネミーズ・オブ・ザ・ピープル」では、ポル・ポト派の最高幹部だったヌオン・チアが「少しでも党に反対する者は排除しなければ党が乗っ取られる。彼らは人民の敵だ」と述べるシーンがあって、映画のタイトルにもなっているという。
だが、敵対する旧ロン・ノル政権の幹部や兵士を殺害したのならともかく、無差別に200万人もの自国民を虐殺した説明にはならない。中国の文化大革命の影響を受けていたこともあって、鎖国状態だったポル・ポト政権も中国とは国交を結んでいた。「キリング・フィールド」に出演し、アカデミー助演男優賞を獲得したハイン・S・ニョール氏は中華系カンボジア人で、中国名は呉漢潤だが、実際にポル・ポト政権下で強制労働と拷問を受け、タイに難民として逃れ、命拾いした経験を持つ。
プノンペンに大使館を維持し、要人の交流もあった中国が中華系の人々の虐殺をなぜ黙認したかも疑問だ。末期のポル・ポト派は分裂し、序列ナンバー2だったイエン・サリはタイ国境に近い南西部のパイリンに拠点を置いた。
1997年、地雷撤去の作業を横目に見ながらパイリンに入り、イエン・サリにインタビューした。すでにタイとの国境ビジネスで政商になっていたイエン・サリは虐殺については知らなかったと答え、責任をポル・ポトに押しつける発言をした。
ポル・ポトはタイ国境に隣接した北西部のアンロンベンで1998年4月に死亡した。死因は心臓発作といわれている。
世界中の報道陣が詰め掛け、タイの軍に引率されながら国境線まで進んだ。(写真)

国境線から100メートルほどの奥のカンボジア側から煙が上がるのが見え、ポル・ポト派のスポークスマンは「ポル・ポトが荼毘(だび)に付された」と報告しに来た。
ポル・ポトの死をレポートしようと筆者がカメラの前に立った瞬間、轟音が鳴り響いた。同行していたタイ軍兵士が素早く身を伏せるのを見て、慌ててしゃがみこんだ。カンボジア政府軍のロケット砲がさく裂した音だった。
生前のポル・ポトにふさわしく、葬儀まで戦闘の中だった。轟音とともにポル・ポト政権による大量虐殺の謎も吹き飛んだような気がした。
写真1:記者団を誘導するタイの国境警備兵
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