タイの首都バンコクから北に200キロ、サラブリに薬物患者を治療することで有名なタンクラボック寺がある。日本人など外国人も含めおよそ300人が薬物中毒の治療を受けている。かつてこの寺で住職をしていた故チャムルーン僧侶が治療法を開発した。チャムルーン僧侶は功績をたたえられ、アジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞した。
まず寺の境内に自生するするハーブを採取し、そのハーブを溶かした水をバケツに何倍も飲む。そしてその水を吐き、胃の中を洗浄する。境内に一列に並んだ薬物患者が苦しそうに吐き、周りで僧侶や仲間が太鼓をたたき、励ます。(写真)
その後、蒸し風呂に入り、大量の汗をかく。体内から薬物の成分を抜いた後は、僧侶が薬物の恐ろしさや生活の立て直しについて説教する。
このタンクラボック寺に1990年代までモン族が身を寄せていた。モン族はタイやラオス、それに中国南部などに住む少数民族だ。もともとは中国南部を拠点にしていた「楚人」が起源で、古代には秦に、近代では清に圧迫され、タイやミャンマー(ビルマ)の山岳部に逃げ込んだ少数民族だという説が有力だ。
モン族の悲劇はインドシナ紛争やベトナム戦争時代にピークに達する。インドシナ半島の内陸国、ラオスは王族とアメリカ対共産勢力のパテトラオの戦場となったが、モン族は王族とアメリカ側とパテトラオ側と2つに分かれて戦争に巻き込まれた。同じ民族同士が銃撃戦を繰り広げた。
敗者となった王族とアメリカ側についたモン族は、タイやアメリカに難民として流れた。タンクラボック寺も多い時はおよそ1万人の難民を収容した。寺の高僧はアメリカの上下両院議員や政府高官との交流もあった。
ベトナム戦争中の1967年、東南アジア諸国は共産主義の浸透を恐れ、「アセアン」を設立。アメリカもモン族を保護するとともに、ラオスに残ったモン族に戦闘続行を要請した。だが、もはや資本主義陣営対共産主義陣営の対立構造は崩れ、ラオス、ベトナムすら「アセアン」に加盟する時代になった。
かつて共産主義勢力の浸透に対抗するために行われたアメリカとタイの軍事演習「コブラゴールド」は現在、ターゲットが麻薬取り締まりに様変わりしている。
この時代の流れがさらにモン族を苦しい立場に追い込んでいる。ラオスとの外交の都合で、タイに新たに流れ込んだモン族はラオスに追い返された。タンクラボック寺のモン族も例外ではなく、今はほとんど姿を消している。
タンクラボック寺のモン族がどこに行ってしまったかは分からない。
写真:薬物中毒者の治療風景
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