様変わりするパキスタンとアフガン関係 直井謙二
様変わりするパキスタンとアフガン関係
1979年、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻は、パキスタンとアフガニスタンの関係を急速に接近させた。旧ソ連が凍結しない海への進出を目指し、最終的にはパキスタン支配を狙っていると見たパキスタンは、アフガニスタンへの支援を惜しまなかった。加えて、アメリカを中心とする西側諸国もパキスタンを支援した。
戦闘が拡大すると、大量の難民がアフガニスタンからパキスタンに流れ込んだ。国境に近いペシャワールには難民キャンプが形成され、パキスタンの市民は「困難に直面している同じイスラム教徒を助けるのは当然のことだ」と語っていた。
当時、アフガニスタンには7つのイスラム系ゲリラグループが結成され、旧ソ連軍と砲火を交えていた。筆者も数回、難民キャンプを取材したことがある。
その際、原理主義に近いイスラム党の党首、ヘクマチアールにもインタビューすることができた(写真)。彼は旧ソ連を強く非難し、「勝利するまで戦闘を続ける」と語っていた。その言葉通り、1989年2月に旧ソ連軍はアフガニスタンから撤退し、やがてソ連自体も崩壊した。一方、ヘクマチアール党首はアフガニスタンの首相に就任した。

旧ソ連軍の撤退後、パキスタンとアフガニスタンの国境付近で、神学校の学生を中心に結成されたのがタリバンである。共通の敵であった旧ソ連が去った後も、各党同士の戦闘は続き、その混乱の中でタリバンは急速に勢力を伸ばした。
タリバンは教義を厳格に取り締まる一方で、女性に教育の機会を与えないなど、極端なイスラム原理主義政策を採った。
1999年末には、インド航空機を狙ったハイジャック事件が発生した。機体は最終的にアフガニスタンのカンダハルに着陸し、事態は膠着状態となった。筆者はパキスタンでアフガニスタン取材のビザを取得し、幸運にも国連のチャーター便に同乗することができ、半ば崩壊したカンダハル空港に到着した。
ハイジャックされた航空機は、アフガニスタンとインドの政府高官による交渉の末、事件は解決し、インド航空機はニューデリーに向けて飛び立った。事件が解決し周囲を見渡すと、そこにはタリバン兵士ばかりがいた。折しも2000年の初日の出が砂漠の彼方から昇り、筆者はタリバン兵と並んでその光景を眺めた。
翌2001年、アルカイダのビン・ラディン氏をかくまったとしてアメリカがアフガニスタンを攻撃し、アフガン戦争が勃発した。これによりタリバンは一時政権を失った。
しかし20年後の2021年、アメリカ軍が撤退するとタリバンは再び政権を奪取し、イスラム原理主義政権が復活した。
一方でパキスタン国内では、政権打倒を掲げるTTP(パキスタン・タリバン運動)が活動を活発化させている。
かつては自国の安全保障やアフガニスタン情勢への対応のために保護していたタリバン運動が、皮肉にも現在ではパキスタン政府自身の脅威となりつつある。




