フィリピン南部ミンダナオ島とマレーシアのカリマンタン、ボルネオ島の間に転々と小さな島が並んでいる。スールー諸島と呼ばれる島々には、さまざまな海洋民族が住んでいる。スールーはスペインやアメリカなどの欧米諸国の支配に耐えて独立を維持し、つい最近までスルタンを戴くイスラム王国だった。
現在も、独立を目指すイスラム過激派のアブ・サヤフやMILF(モロ民族解放戦線)などの拠点となっている。危険な取材の割には国際問題となりにくいことから、スールーを訪れる外国人報道陣はあまりいない。
1990年代の半ば、フィリピンのラモス政権とゲリラの間に、短期ではあったが停戦協定が成立した。この時期にスールー諸島を訪れた。ホロ島にも数多くの漂海民バジャウ族が住んでいる。漁業を生業とするバジャウ族にとって、大切なのは海と海岸だ。
内陸部に入って定住することはなく、船の上や海岸に高床式の家を建てる。バジャウ族の子供たちに助けてもらって、細い橋を渡り、家の中に入ってみた。
家はがらんとしていて、家財道具らしいものはほとんどない。家の床下を除くと、無数の小魚が見える。バジャウ族は定住することはなく、海産物を求めて半年単位で移動を繰り返す。バジャウ族の行動範囲は広い。
もともとバジャウ族はマレー半島の民族だったという説もあるくらいだ。こうした海産物はホロ島の朝の市場に持ち込まれる。マグロ、カニ、カツオ、それに巨大なエイなど豊富で新鮮な海産物の取引をめぐって喧騒が市場を支配する。価格はカツオ一匹が60円、カニが一杯20円など、日本では考えられないような安さだ。
冷凍保存技術が発達していないこともあって、水揚げされた商品はその日のうちに売り尽くさなければならない。漂海民バジャウ族にとって、欧米諸国が植民地支配を合理的に行うために島ごとに引いた国境線は何の意味も持たない。
季節風や魚の動きを見ながら、フィリピンのホロ島からインドネシアのスマトラ島付近に出掛け、半年後の逆の季節風に乗ってまた戻ってくる。
この間にフィリピン、マレーシア、それにインドネシアとパスポートも持たないで行き来する。もっともバジャウ族の立場に立てば、陸の民、欧米諸国が後からやって来て引いた国境線など全く意識していないということだろう。
海の民、漂海民にとっては領土は全く意味を持たない。
写真:バジャウ族の人々が暮らす家
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