インドネシアのジャワ島から小さな運搬船に乗ってバンダ島まで船旅をしたことがある。ジャワ島のスラバヤを出発、ジャワ海を東に進み、スラウェシ島のウジュンパンダやアンボンに立ち寄り、バンダ海に浮かぶ小さなバンダネイラ島までおよそ2週間の旅だ。
インドネシアを植民地支配したポルトガルやオランダ、それにイギリスは、クローブやナツメグなどの香料を求め、東へと旅した。その航路の一部を実際に航行し、その痕跡を確かめてみようという企画だ。はるか16世紀の大航海に夢をはせるロマンに満ちた感動は、出発して間もなく消えた。
まず船酔いだ。2日ほど簡易ベッドから起き上がれなかった。トイレは船尾の底に穴を空けただけ。船はかなりのスピードで走っているから、夜中などに誤って海に落ちたら、まず命はない。
ヨーロッパの列強にとって、香料や医薬品になるクローブは幻の香料だった。ヨーロッパ人はインドで香料を買うが、クローブなどは生産地が見つからない。マラッカに到達したポルトガルは、さらにクローブの産地を求め、バンダ諸島で初めてクローブの木を見つけた。
むろん、何度も難破し、犠牲者を出す旅だったに違いない。はるばる喜望峰を回り、インド洋を横切って帆船でやって来たポルトガル人に比べるべくもないが、その苦労をしのぶと同時に、当時のクローブの魅力の大きさを感じた。
拠点となる島の要衝には2つの砦(とりで)が築かれている。海岸に近い小さな砦はポルトガルによって築かれたもので、その後ろに築かれた大きい砦は、その後にインドネシアを支配したオランダが築いたものだ。
ようやく到着したバンダネイラ島(写真)に小さな博物館があった。民家のような博物館にわずかな資料と絵画が飾られているだけだ。だが、1枚の絵の前でくぎ付けになってしまった。その絵は、オランダ人が島を征服した模様が描かれていた。島の豪族が縛られ、処刑されている。
オランダ人の命令で首をはねているのは日本人だと説明がついている。その姿はちょんまげを結い、ふんどし姿で相撲取りのように描かれ、やや時代考証に難がありそうだ。
だが、この時代、天下取りの夢破れた戦国武将が列強の傭兵となって活動したと言われている。香料を求める旅を追体験するロマンに満ちたはずの旅の果てで、思わぬ先祖に出会ってしまった。
写真:バンダネイラ島
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