海に囲まれた日本人はほとんど国境線を意識しない。
一歩進めば他国、小さな川の向こうは異国という感覚は、日本人にとっては不思議な光景だ。特に行き来が難しい国の国境に立つと、奇妙な感覚に襲われる。ミャンマー(ビルマ)国境に接するタイの町、メソッドもその1つだ。
川幅が50メートルほどのミヤイ川の向こうは、ミャンマーの町メヤワディだ。1990年代に川に橋が架けられ、車の往来ができるようになったが、ミャンマー軍事政権の意向で橋の往来禁止されていることが多い。
経済的に苦しいミャンマーの国のはずれにあるメヤワディには、仕事も物資もない。ミャンマーの若者は小舟に乗ってタイに働きに来たり、買い物にやって来る。
川を渡るボートの向こう岸がメヤワディだが、遠めに見ても寒村だ。(写真)
タイのメソッドには、人口に見合わない大量の食料や日用品が積まれた店が目立つ。半分以上がモヤイ川を渡り、メヤワディを経てはるばる旧首都のヤンゴンまで運ばれる。半分公認された密輸だ。
ミャンマー側からは牛などが運ばれてくる。夜陰にまぎれて、モヤイ川を渡る。
遠くインドやバングラデシュから1カ月以上もかけてやってくる牛もあるという。メソッドで定期的な牛の競り市が開かれる。以前は農耕用の水牛が多かったが、タイ農業の機械化の影響で乳牛や食肉用の牛が増えている。遠くからやって来た牛はやせている。
最近、メソッドの市場ではミャンマーを経由して輸入された中国製品が目立ってきた。ミャンマーに対する中国の経済進出を感じ取ることができる。
普段は垣間見えるといっても、曇りガラスを通して見ているようだが、ミャンマーの情勢を素通しで映し出したのは1988年の騒乱事件だ。
「ビルマ式社会主義」が破綻し、経済的に苦しい市民や、当時のネ・ウィン政権の弾圧を跳ね返そうとする学生らによる反政府デモが全土に広がった。軍事政権は反政府デモの広がりを否定する一方、ジャーナリストの入国を禁止した。
だが、モヤイ川の川岸からメヤワディでデモが行われていることが手に取るように眺められた。間違いなく、デモは全国に広がっていると確信できた。
しかし、民主化運動は2カ月足らずでソウ・マウン軍事政権によってつぶされてしまう。同時にメヤワディも、何事もなかったかのように静まり返った寒村に戻った。
国境に張り付くと、隣国の鼓動がかすかに、時に激しく伝わってくる。
写真:モヤイ川の渡し
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