第42回 ポル・ポト派、虐殺の記憶 直井謙二

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第42回 ポル・ポト派、虐殺の記憶

カンボジアで悪名高いツール・スレン収容所の元所長、カン・ケ・イウ被告に禁固40年の求刑が出た。ポル・ポト派幹部の裁判がようやく動き出した。

100万人とも200万人ともいわれる自国の国民を虐殺したポル・ポト派。中国の文化大革命の影響を受け、原始共産主義実現のため、文化人や富裕層を中心に始まった処刑はやがて、処刑の数がノルマ化され、大量虐殺の悲劇を生んだ。

だが、ポル・ポト政権は中国などごく限られた国としか国交を持たず、カンボジア国内で何が起きているのか分からない状態だった。

ポル・ポト政権が首都プノンペンを追われて数年後、ヘン・サムリン政権下のプノンペンを訪れた。車も人もまだ少なく、ポル・ポト政権が都市から市民を追い出した痕跡を感じた。まだポル・ポト派の残存勢力が残っていて夜陰にまぎれて攻撃してくる可能性があり、プノンペンでも夜間9時以降は外出禁止令が敷かれていた。

ヘン・サムリン政権下の役人や市民は口を極めてポル・ポト派を非難し、家族や親戚が殺害されたと訴えていた。それでも100万人以上も自国民を殺害するということが信じられなかった。

外務省の職員がツール・スレン収容所にガイドしてくれた。元学校だったいう収容所は2畳ほどの広さにレンガで仕切られ、鉄の足かせが置いてあった。

プノンペン郊外のチェンエック処刑場には処刑された収容者の人骨が山と詰まれ、雨季の雨に打たれていた。一部の頭骸骨には目隠しの布がまだ巻かれていた。処刑は目隠しをされ、撲殺だったと説明するガイドの声が聞こえないほどのショックだった。

カメラマンと2人で人骨の山に近づくと、ボキボキと足元で音がする。足元を見ると、拾いきれていない10センチほどの小さな骨が散乱し、踏みつけるたびに骨が砕ける音だと分かった。その音が耳に残り、しばらく眠れない日が続いた。

1992年、国連の暫定統治が始まると、カンボジアは落ち着きを取り戻し、処刑場に慰霊塔が建ち、遺骨が納められた。慰霊塔は大勢の観光客でにぎわい、次第に残酷さが薄らいでいくように感じた。

間もなく日本の自衛隊の初めてのPKO(平和維持活動)が始まった。内戦で荒れ果てた道路の修復作業などに当たった。その取材中、近くの小学校にポル・ポト政権によって惨殺された人骨があると聞き、訪ねた。(写真)

内戦で破壊された学校の講堂の壇上におびただしい人骨が放置されていた。プノンペンに近いツール・スレンだけを見て、内戦後の復興を判断していたことに恥ずかしくなった。

最近、ツール・スレンは観光化され、名もない処刑場では地元の若者が遺骨から金歯を抜き取り、売っているという。


写真:虐殺の惨状

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