タイとカンボジアの国境地帯での衝突が、2か月ぶりに再び激化した。2005年12月8日、タイ軍が空爆を開始し、双方が「先に攻撃したのは相手だ」と非難を応酬。数十人が死亡し、約20万人が避難する事態となった。
この緊張に対し、ノーベル平和賞受賞が取り沙汰されていた米国のトランプ大統領が、両国に対し高い関税を課すと強く警告。経済的圧力を梃に停戦を実現させたかに見えた。筆者も前回の小欄(第3回「国境紛争とタイ・カンボジアの歴史」)で、「関税の引き下げ交渉を梃に表向き軍事衝突は停止したが、再び大規模な戦闘に発展する可能性は否定できない」と書いた。
残念ながら、その懸念は現実となった。停戦はわずか2か月で破られ、タイ側は局地戦も辞さない姿勢を示し戦線拡大をほのめかす。一方カンボジアは、停戦を破ったのはタイだと主張し、再度の対話を求めている。さらにカンボジアは、世界遺産アンコールワットを擁するシエムリアップ州まで爆撃されたと非難している。
長い歴史の中で醸成されてきた両国の確執を、関税という経済的手段で解決できると考えたのであれば、それはあまりに短絡的だったと言わざるを得ない。
前回はプレアビヒア寺院をめぐる近現代史を中心に両国対立を論じたが、さらに歴史をさかのぼり、民族的背景を見つめる必要がある。
古代インドシナ半島にはクメール族とモン族が居住していたとされる。両民族はマラリアへの耐性を有し、厳しい自然環境の中で定着した。一方、タイ人、ビルマ人、ラオス人などは12世紀頃から中国南部の山岳地帯を出て、大河に沿って南下し、平原へと移動してきた民族である。
やがてインドからヒンズー文化が流入し、メコン川流域には扶南などの国家が誕生する。9世紀から15世紀にかけてはクメール族がアンコールワットに代表される壮麗な大伽藍を築き、タイ族やベトナム族、チャンパ族を圧倒する大帝国を形成した。最盛期の王ジャヤバルマン7世の像は、現在のラオスやタイでも発見されている。タイ側に成立したスコータイ王国なども、アンコール文化の影響を色濃く受けた。
しかしその後、カンボジアはタイやベトナムの攻勢にさらされ、民族主義を強めていく。そして20世紀後半には、ポル・ポト政権という悲劇的な時代を迎えた。政権末期には、プレアビヒアを舞台にタイ軍とカンボジア軍が戦火を交えている。(写真)
こうした歴史的記憶の積み重ねは、単なる領土問題を超え、民族の誇りと国家の威信をかけた対立へと変質する。そこには、理屈や損得だけでは割り切れない感情が横たわる。
国境をめぐる争いは、単なる地図上の線の問題ではない。何世紀にもわたる栄光と屈辱の記憶が折り重なった象徴なのだ。関税という「金の力」で一時的に静めることはできても、歴史に根差した火種を消し去ることは容易ではない。
《アジアの記憶 直井謙二》前回
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