「新型軍国主義」はいかに形成されたのか ――2025年末から2026年春にかけての『人民日報』対日批判の分析 加茂具樹

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「新型軍国主義」はいかに形成されたのか――2025年末から2026年春にかけての『人民日報』対日批判の分析

はじめに

対中関係を論じる日本の言説空間では、中国の対日批判はしばしば感情的な反日言説として処理されがちである。しかし、公式メディアに現れる概念の変化を丁寧に追うならば、そこには中国側の日本認識、国際秩序認識、安全保障観が埋め込まれている。

最近、『人民日報』が用い始めた「新型軍国主義」という語は、その典型である。これは単なる修辞的な強調ではない。むしろ、中国側が日本に見出している歴史修正主義、危機の語り、軍備拡張、対台湾関与を、一つの体系的傾向として束ね直すための概念装置となっている[注1]。本稿は、『人民日報』に掲載された「鐘声」署名の評論記事と「寰宇平」署名の評論記事に現れた、「新型軍国主義」という言葉の形成過程を検討し、中国の対日認識の構造変化を明らかにする[注2]

筆者はすでに二〇二六年一月、中国側が日本を「新型軍国主義」と呼び始めたことの意味について、それを単なる対日批判の激化ではなく、中国が日本をどのような脅威として位置づけるのかという認識枠組みの変化として読む必要があることを指摘した[注3]

そこで示したのは、中国政治において言葉はしばしば政策に先行し、相手をどのような語彙で位置づけるのかが、その後に取り得る行動の幅を規定する、という視点であった。本稿はその問題意識を引き継ぎつつ、二〇二五年十一月以降の『人民日報』に掲載された「鐘声」と「寰宇平」の二つの署名評論記事を時系列的に検討し、そのうえで、同時期の政策周辺における対日認識を補助的に参照する。以上の作業をつうじて明らかにしたいのは、対日批判の強弱そのものではなく、日本をいかなる現実的脅威として位置づけるのかという対日認識の形成過程である。

 一.「鐘声」と「寰宇平」

二〇二五年十一月以降、中国共産党中央委員会の機関紙である『人民日報』は、「鐘声」と「寰宇平」という二つの署名評論記事を通じて、日本に対する批判的言説を展開してきた。その発端となったのは、二〇二五年十一月七日の衆議院予算委員会での高市早苗首相の、日本の事態対処法で定義された法律概念としての「存立危機事態」をめぐる発言であった[注4]

中国側はこれを、単なる対中強硬発言としてではなく、中国の内政に対する干渉であり、戦後国際秩序への挑戦であり、さらに日本の歴史観、秩序観、戦略観の危険な転調を示すものとして位置づけた[注5]。二〇二五年十一月十七日の「鐘声」署名評論記事は、高市首相の答弁が「日本右翼勢力の極めて誤った、極めて危険な歴史観、秩序観、戦略観を暴露した」と論じている[注6]

この時点での批判の焦点は、なお日本の具体的な軍事能力そのものではなかった。むしろ、日本が自国の安全保障上の状況をどのように命名し、いかなる危機の語りを通じて行動の正当性を調達しようとしているのか、という自己規定のあり方に向けられていた。

この初期段階の特徴をよく示しているのが、二〇二五年十二月二十五日付の「寰宇平」署名評論記事である。同論説は、高市首相の答弁について、「一九四五年の敗戦以来、日本の指導者が初めて公式の場で『台湾有事就是日本有事(台湾有事はすなわち日本有事)』を鼓吹し、集団的自衛権行使と結びつけ、さらに中国に武力による威嚇を発した」と位置づけたうえで、事態対処法で定義された法律概念である「存立危機事態」を、中国語の表現では「存亡危機」と言い換えつつ、それを「日本軍国主義辞典の常用語法」であると論じていた[注7]

ここで重要なのは、中国側が日本の「危機」認識を、そのまま客観的な安全保障判断として扱っていない点である。むしろそれを、歴史的に蓄積された軍国主義的言説の再演、すなわち対外行動を正当化するための語りの反復として捉えている。したがって、この段階の『人民日報』の論説は、日本の軍事的脅威を論じる以前に、日本がどのような危機の語りによって自らを意味づけ直しているのかを問題化していたといえる。

いいかえれば、中国側が問題視しているのは、日本が危機を強調しているという事実そのものではなく、その危機の語彙を通じて、日本がいかなる国家として行動するのかを語り直している点である。こうして見ると、二〇二五年十一月から十二月にかけての『人民日報』の対日批判は、日本の軍事能力の評価というよりも、日本が危機を媒介に自己像を再構成し、その自己像に沿って対外行動を正当化しようとする過程への警戒として読むことができる。

ここで争われているのは、単なる安全保障判断の当否ではなく、日本という国家が自らをどのように定義し、その自己理解にもとづいて対外行動をどう正当化するのかという問題である。その意味で、これは国家の自己像の維持と再編に関わる問題であり、分析概念としていえば、存在論的安全保障に接近する問題領域である。もちろん、『人民日報』の論説自体がこの分析枠組みを用いているわけではない。

しかし実際には、中国側は、日本が「台湾有事」や、いわゆる「存立危機事態」をめぐる発言を通じて、自国の安全保障上の自己像を再構成しようとしていると捉え、それを歴史修正主義と戦後秩序への挑戦を伴うものと批判していた。十一月一九日付「鐘声」署名評論記事が、高市首相の答弁を「中日関係の政治的基礎を深刻に破壊する」ものと位置づけたことも、その延長線上にある[注8]

 二.「新型軍国主義」という語彙の選択

二〇二六年一月に入ると、この批判は新たな概念的段階に進んだ。一月九日付の「鐘声」署名評論記事は、「新型軍国主義」という語を初めて用いた。「高市早苗政権はすでに戦後の平和路線から逸脱し、絶えず国民に危険な幻想を作り出し、『新型軍国主義』のための空気を醸成している」というのである[注9]。ここでの「新型軍国主義」は、危機の語り、世論形成、平和国家イメージの解体といった、言説と観念の次元において機能している。すなわち、戦前型軍国主義の露骨な再来ではなく、戦後の「平和」「防衛」といった語彙をまといながら形成される、現代的でより隠蔽的な軍国主義として提示されたのである。

ここで注目すべきは、『人民日報』が対日批判の概念として、単純な「日本軍国主義復活」ではなく、「新型軍国主義」という語を選択した点である。二〇二五年十二月までの論説は、「軍国主義死灰復燃(軍国主義の再燃)」や「軍国主義陰魂不散(軍国主義の亡霊がなお消えない)」といった表現が中心であった。十二月十五日付「鐘声」署名評論記事は、「日本軍国主義は歴史の恥辱の柱に釘づけにされた」が、「いまなお軍国主義を再び灰の中から燃え上がらせる勢いがある」と論じ、十二月二十五日付の「寰宇平」署名評論記事もまた、日本の現状を「日本軍国主義の亡霊はいまだ散らず、それは現実的で切迫した危機である」と表現していた[注10]。これらの表現の重心は、過去の軍国主義が完全には清算されていないという歴史的連続性の強調にある。

この「新型軍国主義」という語彙の選択の第一の意味は、戦前軍国主義との連続性を保ちながら、その現代的変容をも同時に捉えようとしている点にある。三月十七日付の「寰宇平」署名評論記事は、この語を明示的に定義していた。そこでは、日本の「新型軍国主義」は「軍国主義が現代において頑強に繁殖し、異常なかたちで進化したものであり、拡張の遺伝子を保ちながら、きわめて欺瞞的な新しい特徴へと異化している」と述べられている[注11]。ここには、単なる「復活」では捉えきれないニュアンスがある。少なくとも『人民日報』の語り方からは、日本を戦前軍国主義の単純な再来としてではなく、「平和」「防衛」「危機管理」といった戦後的な正当化の語彙をまといながら進む軍事化として捉えようとしていることが読み取れる。

第二に、「新型軍国主義」という語は、日本の個別の政策や言説を一つの戦略的傾向として束ねる機能を持つ。三月十七日付の「寰宇平」署名評論記事は、日本の「新型軍国主義」は「『平和』と『防衛』の外衣をまとっている」が、その核心目標は「戦敗国としての束縛から脱し、対外的に武力を行使し、さらには戦争を発動しうる軍事大国となること」にあると論じていた[注12]。さらに同評論は、「『反撃能力』の発展で進攻の意図を覆い隠し、『集団的自衛権の行使』で海外用兵を包み隠し、『経済安全保障』や『危機管理』の名を借りて戦争動員を行っている」と整理している[注13]。ここで「新型軍国主義」は、中国側が日本に見出している歴史修正主義、危機の語り、修憲、反撃能力、武器輸出、核武装志向をばらばらの事象としてではなく、一つの構造的傾向として再記述するための概念装置として機能している。

第三に、この概念は、「平和国家」日本の自己正当化を内側から批判する政治的機能を持つ。十二月二十五日付「寰宇平」署名評論記事はすでに、戦後日本において「平和国家」の外衣の下で「新軍国主義」が育ってきたと論じていた[注14]。しかし三月十七日付「寰宇平」署名評論記事になると、この論点は一段と整理され、日本の軍事化は「平和」と「防衛」の名を借りて進行するがゆえに、むしろ危険であるという構図が前面に出る。したがって、「新型」という語は単に新しさを示すのではなく、制度化され、合法化され、正当化された軍国主義、すなわち戦後的装いを通じて進行する軍国主義を意味している。

なお、『人民日報』が二〇二六年一月に「新型軍国主義」を前面化する以前に、政策周辺に近いと考えられる研究者の言説空間では、すでに同概念の使用が始まっていた。中国社会科学院日本研究所所長の楊伯江は、二〇二五年十二月二日の日付で同研究所のウェブサイトに掲載された論考で、高市首相の答弁について「日本の新型軍国主義が加速して台頭する勢いを映し出している」と述べていた。さらに、二〇二六年一月十二日付の論考では、高市首相の言動が「『正常国家』化の外衣をまとった新型軍国主義が日本で加速して台頭していることを十分に暴露した」と論じていた。ここから直ちに『人民日報』との因果関係を導くことはできない。しかし少なくとも、「新型軍国主義」という語が党機関紙の紙上で突然に創り出されたのではなく、同時期の政策周辺の対日分析のなかでも先行的に用いられていた可能性は示唆される。この点は、同概念を『人民日報』の宣伝語にとどまらない、より広い認識空間の産物として理解するうえで重要である。

三. 政策周辺の知的空間での議論

もっとも、本稿で扱うべき中心はあくまで『人民日報』紙上の概念形成である。以下で触れる研究者やシンクタンクの言説は、その直接の起源や因果関係を示すものではない。ここでは、それらを、同時期に中国の政策周辺でいかなる対日認識が流通していたのかを示す補助線として位置づけたい。

その意味で注目されるのが、二〇二六年二月から三月にかけて、研究者やシンクタンクが対日脅威認識をより積極的に発信していた点である。こうした言説は、『人民日報』の「新型軍国主義」論そのものではないが、それが置かれていた同時代的な認識環境の一端を理解する手掛かりにはなりうる。

例えば香港中文大学(深圳)公共政策学院院長の鄭永年氏の一連の発言や、清華大学戦略与安全研究センター(CISS)の二〇二六年版『中国の対外安全保障上のリスク展望』は、同時期の政策周辺における対日認識の一端を示している。CISSは、自らを「国際秩序、国際関係及び戦略と安全問題を研究し、国際情勢の変化を追跡し、政策決定に参考と建議を提供する」機関と位置づけており、政策決定サークル周辺の議論として扱うだけの根拠はありそうである。

鄭永年氏は、二〇二六年三月の複数の発言において、日本を単なる過去の軍国主義の残影としてではなく、アメリカの対中戦略を東アジアに媒介する能動的主体として位置づけていた[注15]。そこでは、日本は「東アジアのイスラエル」とも形容され、中国周辺の緊張を主体的に利用しうるアクターとして描かれている。これは『人民日報』の「新型軍国主義」という概念と同一ではない。しかし、日本を現在進行形の秩序攪乱要因として捉える視線が、同時期に政策周辺でも可視化されていたことは示している。

また、CISSの二〇二六年版『中国の対外安全保障上のリスク展望』も、同時期の認識環境を考えるうえで示唆的である[注16]。同報告は、二〇二六年の中国外部安全環境を論じるにあたり、「日本高市早苗政権の右翼的『狂奔』が中日関係の構造的矛盾を深めている」と明記し、全体的特徴として「三つの海の連動リスクが空前に突出している」と述べている[注17]。「三つの海」とは東シナ海、台湾海峡、南シナ海である。

そこでは、「東シナ海、台湾海峡、南シナ海の三つの戦線は、アメリカの戦略的策動のもとで共振効果を生じうる」のであり、「日本の台湾海峡への介入力が強まり、フィリピンの南シナ海での挑発頻度が上昇し、アメリカが『拒否的抑止』を支える態勢の一環として、前方配備を維持する」ことが相互に連動しうるとされている。

さらに同報告のリスク順位では、「風雲急を告げる台湾海峡——―情勢の持続的な緊張と多方面からの介入」が第一位、「『危うい壁』のような隣人――中日関係の構造的悪化と東北アジア安全保障のジレンマ」が第二位、「南シナ海、十年目の危機――南シナ海における『準軍事化』した対立と『仲裁十周年』の危機」が第四位とされており、日本問題は中国の安全保障リスクのかなり上位に位置づけられている。その上で、台湾海峡リスクの節では、「中日間の台湾問題をめぐる矛盾は急速に激化しつつある」とし、高市政権が現職閣僚級の台湾訪問、台湾指導者の訪日、海警船の移転、台湾問題と日本安全保障との直接連結など、複数の形で「持続的に冒進しうる」と述べている。

CISSの議論は『人民日報』の「新型軍国主義」論そのものではない。しかし、日本を東シナ海、台湾海峡、南シナ海の連動を促す媒介項として捉える視線は、『人民日報』が日本を地域秩序の攪乱要因として描く方向と、少なくとも並行的に現れていたといえる。

こうして見ると、鄭永年氏やCISSの議論は、『人民日報』の「新型軍国主義」論と完全に同一ではない。前者はより地政学的であり、日本をアメリカの対中戦略の支点として捉える色彩が強い。他方、『人民日報』は、歴史修正主義、危機の語り、再軍事化、核武装志向を統合する概念として「新型軍国主義」を提示していた。しかしその一方で、同時期に複数の言説空間において、日本を過去の歴史問題の対象としてだけでなく、現在進行形の安全保障上の変数として捉える視線が強まっていたことは確認できる。さらに東シナ海、台湾海峡、南シナ海を連動させる媒介項として位置づける見方も目立つようになっていた。『人民日報』が三月十七日付「寰宇平」署名評論記事で、日本の右翼勢力が台湾海峡、東シナ海、南シナ海で「火に油を注ぎ、事端を引き起こしている」と論じたことも、この同時代的な認識環境のなかで読むと、その含意をより具体的に理解することができる[注18]

 四. 対日批判の二段階の展開

以上を踏まえると、二〇二五年十一月から二〇二六年春にかけての『人民日報』の対日批判は、大きく二つの段階に分けて理解することができる。第一段階では、高市首相の国会答弁、とりわけ「存立危機事態」にかかる答弁を起点として、中国側は、日本の歴史観、秩序観、危機の語りを問題化していた。この時期の批判の重心は、日本の軍事能力そのものよりも、日本が自らをどのような国家として語り直そうとしているか、という自己物語の変化に置かれていた。

第二段階では、「新型軍国主義」という概念の導入によって、中国側が日本に見出す歴史修正主義、危機の語り、軍備拡張、反撃能力、武器輸出、核武装志向が、一体の傾向として把握されるようになった。ここで重要なのは、批判の対象が個々の言動から、それらを束ねる構造的傾向へと移った点である。いいかえれば、日本をめぐる批判は、個別の歴史問題や防衛政策への反発から、それらを相互に結びつけて理解する包括的な認識枠組みへと移行したのである。

同時期に中国の政策周辺でも、日本を地域秩序上の媒介項として捉える議論が現れていたことは、この概念が孤立したスローガンではなく、日本をめぐるより広い認識枠組みのなかで理解されていた可能性を示している。ただし、ここから『人民日報』との直接的な因果関係を導くことはできない。重要なのは、複数の言説空間で、日本を現在進行形の安全保障上の変数として描く視線が、同時期に強まっていたという事実である。

この二段階論は、十二月二十五日付「寰宇平」署名評論記事と三月十七日付「寰宇平」署名評論記事の差異にも表れている。前者では、「存立危機事態」が日本軍国主義の歴史的言説と結びつけられ、日本の危機認識の語り方そのものが批判の対象となっていた。これに対して後者では、「新型軍国主義」が「現実の脅威」とされ、その内容は政治、軍事、経済、文化にわたる総合的変容として描かれている。違いは断絶というより、危機の語りに対する言説批判が、安全保障上の構造的傾向に対する批判へと編み込まれていく過程にある。

この概念の変化が単なる語りの変化にとどまらないことは、一月二十七日付「鐘声」署名評論記事にも示されている[注19]。同記事は、日本の「新型軍国主義」は「もはや危険な兆候ではなく、現実の脅威」であるとし、その文脈で中国の対日輸出管理強化を正当化している。ここでは、「新型軍国主義」という語彙が、単なる批判語にとどまらず、中国の具体的な対日措置を正当化する政策言語として用いられ始めていることが確認できる。したがって、『人民日報』における概念変化を追うことは、対日宣伝のトーンを測る作業ではない。それは、中国が日本をどのような現実的脅威として再定義しつつあるのかを知るための作業でもある。

おわりに

日本国内では、中国の対日批判はしばしば「歴史問題の利用」として片づけられる。しかし、『人民日報』の最近の概念操作を仔細に見るならば、中国が進めているのは単なる歴史の反復ではない。彼らは、「新型軍国主義」という語を通じて、現在の日本の安全保障政策を戦後秩序への挑戦として再記述し、その上で日本を東アジア秩序の現実的な攪乱要因として描き出そうとしている。

さらに注目すべきは、この語が『人民日報』紙上だけで孤立して現れたのではなく、同時期の政策周辺における対日言説とも並行していた点である。もちろん、本稿で扱った研究者やシンクタンクの議論だけから、中国国内の認識空間全体を語ることはできない。しかし少なくとも、二〇二五年末から二〇二六年春にかけて、日本を現在進行形の安全保障上の変数として描く視線が、複数の言説空間で強まっていたことは確認できる。

以上の検討から見えてくるのは、『人民日報』における「新型軍国主義」という語が、単なる対日批判の強化ではなく、日本を現在進行形の脅威として再定義する概念として形成されてきたということである。そして、この語彙の定着は、今後中国が対日措置を講じる際、それを「戦後秩序の擁護」や「地域安定の維持」といった名目のもとで正当化するための言語的基盤となりうる。そこにこそ、この概念変化を追う意義がある。

 

[注1] 「“新型軍国主義”将把日本再次引向深渊(鐘声)」『人民日報』2026年1月9日。「日本“新型軍国主義”已是現実威脅、必須遏制其成勢(寰宇平)」『人民日報』2026年3月17日。

[注2]『人民日報』には、指導部の国際情勢認識を表していると理解されている署名入り評論記事がある。「鐘声」と「寰宇平」である。中央軍事委員会の機関紙である『解放軍報』にも、その国際情勢認識を代弁していると理解されている署名入り評論記事がある。「鈞声」である。そして両者は連携してメッセージを発することがある、と理解されている。例えば20251127日に『人民日報』は「中美應共同維擁好二戦勝利成果(中米は共同して第二次世界大戦勝利の成果を擁護すべきである)」と題する「鐘声」署名評論を掲載した。そして同日の『解放軍報』は「絶不允許日本重走軍国主義侵略老路(日本が軍国主義侵略の旧路を再び歩むことは断じて許されない)」と題する「鈞声」署名の国際評論を掲載した。前者は十一月七日の衆議院予算委員会での「存立危機事態」にかかる高市首相の答弁を「一つの中国」原則と戦後国際秩序への挑戦として、(中国側が認識する)米中協調の文脈に接続させ、後者はそれを日本軍国主義復活の兆候として軍事、歴史問題へ拡張させた。『人民日報』の「鐘声」と『解放軍報』の「鈞声」が同日に高市首相の答弁を論難したことになる。 

[注3] 拙稿「なぜ中国はいま「新型軍国主義」と日本を呼ぶのか ――言葉が先行する中国政治の論理」『中国政観』2026129日 https://www.kazankai.org/media/cl/a2188

[注4] 「第219回国会衆議院予算委員会第2号 令和7117日」『国会会議検索システム』https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=121905261X00220251107&spkNum=188&single

[注5] 11月14日の「鐘声」署名評論記事は、高市首相の発言に対する直接的な糾弾と威嚇の色彩の強い文章であった。その後の1117日の「鐘声」署名記事は、答弁そのものを批判するだけでなく、それを「日本の右翼」の「歴史観、秩序観、戦略観」の問題へと一般化し、さらには日本の戦略的転換への警戒を訴えている。分析的、構造的な文章となっている。「絶不容認高市早苗在台湾問題上的越線挑釁(鐘声)」『人民日報』20251114日。「警惕日本戦略走向的危険転向(鐘声)」『人民日報』2025年11月17日。「外交部副部長孫衛東就日本首相高市早苗渉華錯誤言行提出厳正交渉」『人民日報』2025年11月15日。「外交部発言人連続掲批高市早苗錯誤言論」『人民日報』2025年11月15日。「国台弁:日本乃其当政者没資格説三道四、遑論妄図阻擾中国統一大業」『人民日報』2025年11月15日。

[注6] 「警惕日本戦略走向的危険転向(鐘声)」『人民日報』2025年11月17日。「毒化中日関係必将自食悪果(鐘声)」『人民日報』2025年11月19日。

[注7] 「警惕日本軍国主義陰魂不散(寰宇平)」『人民日報』2025年12月25日。「所謂“存亡危機”暗蔵軍国主義與毒(鈞声)」2025年11月21日。

[注8] 「毒化中日关系必将自食悪果(鐘声)」『人民日報』2025年11月19日。

[注9] 「“新型軍国主義”将把日本再次引向深渊(鐘声)」『人民日報』2026年1月9日。

[注10] 「防止日本軍国主義死灰复燃是正義力量的共同意志(鐘声)」『人民日報』2025年12月15日、「警惕日本軍国主義陰魂不散(寰宇平)」『人民日報』2025年12月25日。

[注11] 「日本“新型軍国主義”已是現実威脅,必須遏制其成勢(寰宇平)」『人民日報』2026年3月17日。

[注12] 同上。

[注13] 同上。

[注14] 「警惕日本軍国主義陰魂不散(寰宇平)」『人民日報』2025年12月25日。

[注15] 「鄭永年:伊朗战事啓示,要預防日本成為‘東亜的以色列’」『新京報』2026年3月4日。また、以下の記事がある。「鄭永年:哪是基於規則 就是叢林法則」『新京報』2026年3月2日。

[注16] 「2026中国外部安全風険展望」清華大学戦略與安全研究中心、2026年。https://ciss.tsinghua.edu.cn/info/yjbg/9024.  同ペーパーの発表の日付は227日。発表日同センターの公式ウェブサイトにも同様の記述がある。

[注17] 「2026中国外部安全風険展望」清華大学戦略與安全研究中心、2026年。

[注18] 「日本“新型軍国主義”已是現実威脅,必須遏制其成勢(寰宇平)」『人民日報』2026年3月17日。

[注19] 「必須遏制日本推進“新型軍国主義”(鐘声)」『人民日報』2026年1月27日。

 


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