「平和と発展」から「戦争と動乱」 ――「戦争」が前景化する中国外交の世界観 加茂具樹
「平和と発展」から「戦争と動乱」ーー「戦争」が前景化する中国外交の世界観
一.外交部長記者会見という定点観測
不透明性を増す中国の政策過程において、外部の観察者がその世界観の深層を読み解くための材料は少ない。それでも重要な定点観測の場は存在する。一つは、毎年十二月に中国外交部のシンクタンクである中国国際問題研究院が開催する「国際情勢と中国外交シンポジウム(国際形勢與中国外交研討会)」での外交部長の基調講演である。そしてもう一つが、その数か月後、翌年三月の全国人民代表大会(全人代)の会期中に開催される、外交部長による内外記者会見である。前者が中国国内の外交関係者や研究者コミュニティー、外事を担う幹部に向けて次なる年の外交方針の見取り図を提示する場であるとすれば、後者は国家の最高権力機関の舞台を通じて、国内外のメディア、ひいては広く国際社会に向けて公式な政策と情勢認識を宣言する発信の場として機能している。
本稿は、二〇二六年の全人代における王毅外交部長の記者会見を手がかりに、中国外交が現状の世界情勢を総括する際に「戦争」という言葉を前景化させた点に注目する[注1]。ここでいう「世界観」とは、単なる印象論や宣伝表現ではない。国際環境をどう把握し、そこからどのような政策上の優先順位を導き出すのかを方向づける認識枠組みである。
いま中国外交は、国際環境を「平和と発展」の空間として語る段階から、「戦争と動乱」が常態化する世界として語る段階へと移行しつつあるようにみえる。そしてこの変化は、単なるレトリックの強硬化ではない。むしろ、国内統治の正統性を支える論理と、対外秩序構想を正当化する論理とを結びつける役割を果たしていると考えるべきである。
以下では、この危機認識が過去十余年にわたりいかなる言説の変化を経て形成されてきたのかを確認したうえで、中国がこのナラティブを通じて自らをいかに位置づけているのかを考察したい。
二.「戦争」が前景化する
二〇二六年三月の全人代記者会見において、王毅外交部長は現在の世界情勢を「変革と動乱が入り混じり、戦争と衝突が至る所で起きている(変革動乱相互交織、戦争衝突此起彼伏)」と表現した。現指導部の発足以降でみると、「戦争」という言葉の使用形態は大きく変化した。従来、「戦争」という言葉を使う場合、「抗日戦争」や「第二次世界大戦」といった過去の歴史的文脈で、あるいは「ウクライナ危機」や「中東紛争」など特定の地域紛争への言及、また「冷戦思考」への反対や貿易戦、ウイルスとの闘い(防疫戦)といった文脈だった。
これに対して、二〇二六年の記者会見における「戦争衝突此起彼伏」という表現は、現在の国際環境全体を特徴づける中心語として、軍事的緊張と衝突の常態化を前提とする世界認識を明確に示した。ここでいう「戦争」は、狭義の軍事衝突のみを指しているわけではない。中国外交の言説空間においてそれは、「動乱」、「衝突」、「分断」、「対抗」といった他の危機概念と連動しながら、現在の国際環境が平常時の競争の段階を超え、構造的な不安定性のなかに入っているという認識を表現する概念群の中核をなしている。したがって、本稿が注目するのは「戦争」という一語そのものよりも、それが危機の総体を表現する語彙体系のなかで占める位置の変化である。
この「戦争」が前景化する世界観は、決して突如として出現したものではない。二〇二五年末のシンポジウムにおいて、王毅氏は「世界各地で局地戦や越境紛争が頻発し、第二次世界大戦終結以来の最高水準を記録している。地政学的な動乱が連鎖するなか、国際社会は『平和か、それとも戦争か』という根源的な問いを突きつけられている。(全球局部戦争和跨境衝突頻発、創下二戦結束以来新高、地縁政治動盪継続蔓延、和平還是戦争之問扣動人心)」と述べ、世界が重大な岐路にあるという二項対立を提示していた。すなわち、二〇二六年の全人代記者会見での発言は、前年末の「平和か戦争か」という問いの延長線上において、危機がさらに進行したという現状認識へと一段踏み込んだものとして理解できる。
三.「協調」から「闘争」の空間
しかし、ここに至るまでの中国外交の言説は、当初からこのような危機一色であったわけではない。習近平指導部が発足したばかりの頃、その情勢認識はこれとは対極にある「楽観」と「自信」に満ちていた。二〇一四年末のシンポジウムで王毅氏は、その年を中国外交の「豊収の年(豊収之年)」と総括していた。
当時の言説空間は、「平和と発展」という時代の主題は変わらず、中国の台頭は世界に利益をもたらすという宣伝的な楽観論によって覆われていた。たとえば同年のシンポジウムで王氏は、「平和と発展の問題がより際立ち、協力と変革の呼び声がさらに高まり、利益と運命の共同体構築の訴えがさらに強まっている(和平与発展的問題更加突出、合作与変革的呼声更加高漲、建立利益与命運共同体的訴求更加強烈)」と述べている。かつての「韜光養晦(才能を隠して時を待つ)」という受動的な姿勢から決別し、「中国特色大国外交(中国の特色ある大国外交)」の正当性を確立するためには、自らの積極的な外交スタイルが国際社会に実りをもたらしているという、ある種の成功物語(ナラティブ)が不可欠だったからであろう。
しかし、この比較的単純な成功物語は、その後、しだいに変化していく。二〇一八年以降、米国との貿易摩擦激化などを経て、公式言説には「百年未有之大変局(百年に一度の大変局)」という概念が定着する(この概念は二〇一七年十二月に登場)。この時期から、中国は外部環境を自国の発展を阻害する不確実なものとして描きはじめた。さらに二〇二二年のシンポジウムでは「国家の核心的利益を損なうことは許されない(国家核心利益不容損害)」と強い口調で語られ、「闘争精神」という言葉が前面に押し出された。情勢認識は「混迷と変革の時代(動揺変革期)」から「変化と混乱が交錯する状態(変乱交織)」へと警戒レベルを引き上げたのである。
過去十余年の語彙変遷は、単なるレトリックの先鋭化にとどまらない。むしろ、国際環境を「協調と利益共有の場」から「存立と発展を賭した闘争の場」へと再定義しようとする、指導部の確固たる認識転換を反映したものといえる。
四.正統性の再構築
ではなぜ中国指導部は、いまこれほどまでに「戦争と動乱」を前景化させる必要があるのか。冷戦終結後の中国共産党は、長らく「高い経済成長を実現する政権」としての正統性、いわゆる「実績の正統性(performance legitimacy)」を最大の権力基盤としてきた。しかしここで注目すべきは、経済の構造的転換により右肩上がりの成長が困難になったからといって、経済的実績による正統性が完全に失われたわけではないということだ。むしろ、それだけでは体制の正当化を支えきれなくなるなかで、安全と安定を供給する主体としての自己像を、より強く前面へ押し出さざるを得なくなっているという点にこそ、真の意図がある。
そこで動員されるのが、あえて未来を不確実で危険なものとして描く言説と、それに対する「安定供給者」としての中国の自己定位である。中国の公式言説は、現在の世界を、単極覇権の維持に伴う混乱が深まり、中国に対する陣営化や分断の圧力が強まる危機的状況として描いている。
実際、近年の表現を辿ればその認識の累積は明らかだ。二〇二二年の「陣営対抗的漩渦(陣営対抗の渦)」という表現や、二〇二四年の「『脱鈎断鎖』愈演愈烈(『デカップリングとサプライチェーンの切断』がますます激化している)」、そして二〇二五年の「単極覇権不得人心(単極覇権は人心を得ず)」といった表現は、その認識の深化を示している。
このような世界像を前提とすれば、国家の安全と社会の安定は、経済効率や局所的利益に優先する価値として位置づけられることになる。この文脈において、閉幕したばかりの全人代で承認された「第十五次五カ年計画」は、単なる経済目標の羅列ではない。混沌とした外部環境のなかに社会に一定の予見可能性を付与するための、統治装置として理解すべきだろう。
もっとも、ここでいう「安定」は単純な現状維持を意味していない。中国外交の文脈で「安定」は少なくとも三つの層から成り立っている。第一に、それは国内における統治可能性である。すなわち政治的動員、社会的要求、経済運営を党の領導の下で、管理可能な状態に置くことである。第二に、それは外部環境の不確実性に対する方向性を供給することである。言い換えれば、国家が見通しを示すことで、社会に予見可能性を配分することを意味する。第三に、国際社会に対し、中国が混乱の抑制者であり秩序形成の担い手であると主張するための規範的な言語でもある。
したがって、「安定」は単なる政策目標ではなく、国内統治と国際的正当化を媒介する中核概念として機能している。王毅氏が二〇二六年の会見で、中国を「世界の平和の力、安定の力、進歩の力(世界的和平力量、稳定力量、進歩力量)」と位置づけ、首脳外交が「動乱の世界に最も貴重な安定性と確定性を提供した(為動盪世界提供了最宝貴的安定性和確定性)」と強調したのは、まさにこの論理の表出であった。
五.秩序の再編
さらに重要なのは、この「安定の供給者」という自己物語が、国内統治の枠組みを超え、国際秩序をめぐる対外戦略と分かちがたく結合している点である。
中国は、現在の世界的混乱の主因を、米国の覇権維持に伴う構造的分断に求めている。その意味で、今日の中国外交が企図しているのは、既存秩序内での限定的な地位向上ではない。むしろ、既存の制度を戦略的に利用しつつも、その秩序を支えてきた正当性の根拠を相対化し、再定義しようとしているのである。ここでいう「秩序」とは、単なるルールの集合体ではない。それは、何が普遍的価値であり、誰がルール形成を主導し、誰が「安定の供給者」として承認されるべきかをめぐる、規範的・制度的な配置そのものを指す。中国の試みは、この配置における評価軸自体の「書き換え」に他ならない。
この文脈において象徴的なのが、「グローバル・サウス(全球南方)」への積極的な包摂である。中国は、覇権主義がもたらす「戦争と分断」からの脱却と、新たな安定の枠組みを説くことで、非欧米諸国を自らの秩序構想の支持基盤として位置づけようとしている。王毅外相が「全球南方大団結」に言及し、SCOやCELAC等の多国間枠組みを強調したのは、その戦略的射程を明確に示している。
もちろん、中国指導部も「グローバル・サウス」が利害や制度の異なる国家群の便宜的な総称であることを熟知している。したがって、「大団結」という言説を、直ちに強固な統一陣営の成立と読み解くのは早計だろう。肝要なのは、中国がこのカテゴリーを触媒として、既存秩序への不満を共有する諸国を緩やかに接続し、自らの秩序構想を支える政治的勢力として「編成」し直そうとしている点にある。
この視点に立てば、二〇二五年九月の「世界反ファシズム戦争勝利八十周年」軍事パレードの光景、すなわち天安門楼上に習近平主席、プーチン大統領、金正恩総書記が並び立った構図は、単なる儀礼的演出を超えた意味を帯びてくる。 あの映像は、中国が主導する非欧米ネットワークが、単なる理念的連帯を超え、対抗的な国際政治の「布置」として可視化されつつあることを世界に印象づけたといってよい。それは、グローバル・サウス全体を一枚岩の陣営に組織化せずとも、「反覇権」「安定」「団結」という共通語彙を介して米欧中心秩序へのオルタナティブを提示しうる、という中国側の自信の表出でもあった。
日本としては、中国が発する「戦争」や「動乱」といった峻烈な言葉を、単なるプロパガンダや国内向けの虚勢として過小評価すべきではないだろう。かつての「豊収之年」という成功の物語から、現在の「危機の物語」への変容。その背後には、指導部による世界認識の根本的な更新と、それを国内統治の正統性維持、さらには対外秩序の再構築へと直結させる強固な論理が存在しているからである。
六.日本の対応
したがって、日本に求められるのは、中国の強い言葉に即応することではなく、その背後にある認識枠組みの変化を見極めることであろう。中国が独自の情勢認識に基づいて自らを「安定の力」と定義し、既存秩序を道義的に相対化しつつ、非欧米圏への働きかけを強めている以上、日本の対応もまた多面的でなければならない。必要なのは、第一に、中国が提示する「西側の動乱か、中国の安定か」という二項対立の構図に巻き込まれないための戦略的コミュニケーションであり、第二に、「分断」や「脱鈎」の論理が現実の経済的威圧や供給網リスクとして現れる可能性を見据えた経済安全保障上の備えであり、第三に、認知領域を含む国際的な言説空間において、中国の「安定供給者」ナラティブに対抗しうる説得的な物語を同志国やパートナー諸国とともに構築していくことである。
問われているのは、中国の危機の物語をそのまま受け入れることでも、それを単なる宣伝として退けることでもない。その語彙が何を可能にし、いかなる秩序観を正当化しているのかを見極めたうえで、こちら側の安定、秩序、正当性の「語り方」を再構築することが必要なのである。
[注1] 本稿は、「国際形勢與中国外交研討会」にて基調講演をおこなった外交部長の公開された演説、および全人代会期中に開催される中国外交部長の記者会見の記録を分析した。いずれも中国外交部公式ウェブページ、『人民日報』紙上で公開されている資料である。前者については二〇一四年から二〇二五年の十二月に実施された基調講演である。二〇二五年十二月の講演については、以下を参照されたい。「王毅 在歴史演進重大関頭開拓中国特色大国外交新境界――在二〇二五年国際形勢與中国外交研討会上的主旨発言(二〇二五年十二月三十日)」『外交部』https://www.mfa.gov.cn/web/wjbz_673089/zyjh_673099/202512/t20251230_11790367.shtml. 後者については二〇一二年から二〇二六年の三月に実施された記者会見の記録である。二〇二六年三月の記者会見の記録は、以下を参照されたい。「中共中央政治局委員、外交部長王毅 就中国外交政策和対外関係回答中外記者提問」『人民日報』二〇二六年三月九日。
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