戦前の旅行ガイドブックを開くと、史跡めぐりにまつわる詳細な歴史の解説や風光明媚な絶景地への道案内だけでなく、さまざまなアウトドア・アクティビティーについても詳細に紹介していることが多い。代表的な例は登山だが、冬の積雪期にはスキーが楽しめる場所が日本全国にあった。そしてその事情は、日本統治下にあった朝鮮半島でも同様だった。
日本に初めてスキーが伝えられたのは明治末期。オーストリアの軍人が現在の新潟県上越市高田で、日本陸軍の青年将校たちにスキー技術の指導をしたのが始まりとされている。当初は雪国での軍事教練や交通手段の意味あいが強かったが、徐々にレジャースポーツとして浸透していく。それは、日本列島内にとどまらず、日本統治下にあった朝鮮半島の積雪地帯にも及んだ。
昭和9(1934)年に朝鮮総督府鉄道局が発行した鉄道路線別ガイドブック『朝鮮旅行案内記』には、「古蹟案内」「行樂治案内」の次に「スキーとキヤムピング」という項目がある。その冒頭で、「スキー熱もこゝ數年前から急激に進展を見、適當なるスロープも數多く發見せられ東海岸地方の三防・外金剛・退潮等の地方は雪の質も積雪の量もスキーに適し逐年隆盛に趣きつゝある」と記したうえで、6ヵ所のスキー場を具体的に紹介している。
同書に挙げられているスキー場は、いずれも現在の北朝鮮に属する場所にあったが、最初に名前が挙げられている三防スキー場は現在の南北朝鮮を二分する軍事分界線のすぐ北側の渓谷にあり、京城(現ソウル)から日帰りでスキーを楽しめた。同スキー場には、朝鮮半島で唯一のジャンプ台まであった。当時の朝鮮半島で発行されていた朝鮮語の新聞「毎日申報」には、冬になると、スキー場の紹介記事や積雪状況、スキーヤー向けの臨時列車の運行情報などを伝える記事が毎年頻繁に掲載されている(画像参照)。
昭和9(1934)年1月23日付け「毎日申報」の紙面より。「大繁昌の三防スキー塲」という見出しで、日曜日に三防行きのスキー列車が運行され、現地は大勢のスキーヤーで賑わったことなどを報じている。
朝鮮語の新聞にスキー関連記事が多数掲載されていたことからもわかる通り、昭和初期の朝鮮のスキーヤーには朝鮮人が多かった。再び『朝鮮旅行案内記』によれば、三防スキー場を目指すスキーヤー向けの宿として、朝鮮人の宿主が経営する旅館が京元本三防峡駅(現・北朝鮮国鉄三防駅)から徒歩15分ほどのところにあるとのこと。日本人向けのガイドブックらしく、内地人(日本人)のスキーヤーが宿泊するときは特別に内地式の食事(和食?)を調達してくれる、と記されている。
それは逆に言えば、朝鮮人宿泊客向けの食事サービスがこの宿のスタンダードであり、そういう宿が営業を続けられるほどに朝鮮人スキーヤーが多かったことを推測させることにもなる。90余年後の現在、三防スキー場だった場所がどうなっているのか、定かではない。
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