〔47〕日本人はノービザでイランを観光できた 小牟田哲彦(作家)
〔47〕日本人はノービザでイランを観光できた
1990年代初頭に大勢のイラン人が来日し、休日になると東京の上野公園や代々木公園に集まっていたり、都市部の街頭でテレフォンカードを売っていたという話は、これまで拙著で何度か取り上げたことがある(『旅行ガイドブックから読み解く明治・大正・昭和 日本人のアジア観光』〔2019年・草思社〕や『アジアの一期一会―通りすがりの異文化交流―』〔2022年・三和書籍〕など)。日本は、イラン人が査証免除(ノービザ)で訪問できるほぼ唯一の西側先進国だったため、イラン・イラク戦争後のイラン国内の不景気を背景に、大勢のイラン人がノービザで行ける日本へ出稼ぎに来たのだ。その結果、ノービザでの滞在期間を超えて不法滞在するイラン人が急増したため、1992年4月に日本とイランとのノービザ協定が停止され、現在に至っている。
この話題は、かつて日本に大勢のイラン人が押し寄せたこと、その頃の来日経験があり日本語を話せるイラン人が今もイラン国内に大勢いること、などを紹介する文脈で取り上げていたのだが、それらはいずれも、イラン国民が日本にノービザで来られた時期がある、という前提から始まっている。だが、今回はその裏返しとして、日本国民も1990年代まではイランをノービザで訪問して観光できたという史実に注目してみたい。
日本とイランの間でビザの相互免除協定が締結され、実施されたのは1974年10月。当時のイランはパーレビ朝が統治する王政国家であり、アメリカの支援を受ける親米国だった。沢木耕太郎が『深夜特急』の旅の途中でイランに滞在していたのはこのノービザ協定が発効した直後だった(ノービザの恩恵を受けたかどうかは作中からはわからない)。
現代では、観光目的の日本国民は世界中のほとんどの国にノービザで入国できるが、この頃はまだヨーロッパや北・中南米の一部の国々にノービザ入国が認められているに過ぎなかった。1977(昭和52)年発行の『世界旅行案内』では、3ヵ月以内のノービザ入国ができる国を列挙しているが、そこに名前が挙がっているアジアの国はシンガポール、パキスタン、バングラデシュ、イスラエル、トルコ、イラン、スリランカ(1ヵ月以内)、フィリピン(21日以内)、インド(28日以内)の9ヵ国だけ。台湾も香港も韓国も観光ビザがなければ行けなかった時代に、イランは日本人旅行者にとってパスポートさえ持っていれば行ける貴重なアジアの友好国だったのだ。

1979年4月発行の『世界旅行案内』のイラン紹介ページ。右ページの「政体」は「立憲君主制」と書かれている。左は、本書印刷後にイスラム革命が起こり記述に変化が生じていることを読者に注意喚起する挟み込みの紙片。
これは、1979年にイスラム革命が起きてパーレビ朝が倒れ、現在のイラン・イスラム共和国に政体が変わった後も同じだった(画像参照)。『深夜特急』に描かれているイランの旅はイスラム革命前の様子であり、1980年代後半から1990年頃に発行された旅行ガイドブック『地球の歩き方』のインド編には、隣国のパキスタンやイランにはビザなしで気軽に行けることを記した旅行者の投稿が載っている。イスラム革命やイラン・イラク戦争(1980~1988年)の前後で政体の変動があっても、多くの日本人はイランを楽しく旅行できていたようである。
政情さえ安定していれば、産油国のイランは交通インフラが整っていて旅行しやすい。ペルシャ帝国以来の長い歴史を持つ国らしく、2026年3月時点で国内にある世界文化遺産27件は、日本の21件よりも多い。現地滞在中、日本語ができるイラン人にあちこちで親切にしてもらった経験を持つ一日本人旅行者にとっては、いつかまた訪れて、豊富な文化遺産を訪ねてみたいと願っている国の一つである。





