ベトナム戦争の始まりは、宗主国だったフランスがベトミン軍の大攻勢に敗れ、1954年5月に降伏したことにさかのぼる。その直後に開かれたジュネーブ会議には、アメリカ、イギリス、旧ソ連や中国などが参加し、2年以内にベトナム統一のための総選挙を実施することで合意した。しかし、アメリカだけは協定に調印せず、サイゴンにゴ・ディン・ジェム政権を樹立させ、フランスに代わってベトナムへの関与を強めた。その結果、ベトナムは南北に分断された。
イランの場合も、反政府デモの動きを見ながら、アメリカは新たな政権の樹立を狙ったとされる。また、イランをめぐる戦闘も、イギリスやフランスなどの意見を十分に反映させることなく、イスラエルとアメリカによる攻撃から始まった。
経済力と軍事力を背景に、アメリカの単独行動が事態を大きく動かしたという点で、両者には共通点がある。
ベトナム戦争では、アメリカは共産主義の拡大を封じ込める「ドミノ理論」を掲げていた。一方、イランの場合は「イランの核開発阻止」がその理由として挙げられている。「今ここで相手の動きを止めなければ取り返しのつかない事態になる」というアメリカの主張の構図も似ている。
アメリカの支援で樹立されたゴ・ディン・ジェム政権は、十分な民衆の支持を得ることができなかった。また、トランプ大統領はイラン国内の反政府運動に期待を寄せていたが、アメリカの攻撃によって逆にイラン国内の団結が強まり、反政府運動は影を潜める結果となった。
ベトナム戦争では、開戦から約10年間、一進一退の状況が続いた。しかし1968年、ケサン基地をめぐる攻防戦と、その直後の旧正月(テト)に行われた大規模なテト攻勢を契機に、解放軍は勢いを増した。
解放軍の攻勢が続く中で、アメリカ軍兵士の間にも厭戦気分が広がり、やがてパリ和平協定が結ばれた。約50万人に及んだアメリカ軍はベトナムから撤退した。ベトナム側の勝利を支えた要因の一つが、チョンソン山脈の奥深くに築かれたホーチミン・ルートである。この補給路は軍事物資の輸送に大きく貢献した。(写真)
一方、イランではホルムズ海峡が物資輸送の要衝となっている。山岳地帯と海峡という違いはあるものの、物資の輸送ルートの確保が戦局を左右するという点では共通している。
ベトナム戦争当時、ワシントンでは10万人を超える反戦デモが行われ、ジョンソン大統領は再選を断念した。一方、イラク戦争の際にも、アメリカ国内では延べ800万人が参加したとされる大規模な反戦デモが展開された。現在も中東情勢への関与をめぐり、国内世論の動向は政権に大きな影響を与えている。
トランプ政権が停戦交渉を急いだ背景には、中間選挙を控えた政権が選挙で敗北し、レイムダック化することへの懸念があったとも考えられる。
ベトナム戦争終結から半世紀が過ぎた。アメリカは50年前の歴史を繰り返しているのか。それとも、本質的には何も変わっていないのか。その問いは今もなお重い意味を持っている。
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