約10年にわたって続くこの連載コラムには、海外駐在時を含めさまざまな取材先や友人、知人にも登場してもらい、筆者の印象に残った興味深い出会いなどを紹介させていただいてきたが、登場した人物の職業でみると、法律の専門家である弁護士の知り合いが2人いる。一人は、敬愛する人生の大先輩である在ベトナムの経営コンサルタントだった日高敏夫氏の大学時代からの友人である田中民之氏(第299回「中東が専門だった元外交官Tさんの深い見識」)で、もう一人は筆者の高校時代の野球部後輩の三輪和夫君(第213回「高校野球部後輩M君の人生大逆転」)だが、今回は弁護士としては3人目となる高校の同期生である坂本裕之君との久しぶりの再会について綴りたい。
坂本君とは高校時代の3年間に同じクラスになったこともなければ、部活動などでも接点はなく、卒業後に同窓会などの機会を通じて知り合った友人である。高校卒業後の進学先も違うので、共通の友人を介して同窓の集まりで親しく会話したのは、大学卒業から数年たった20代後半だったことを記憶している。なぜ40年近く前の出会いを覚えているかと言えば、筆者が駆け出しの記者だったときに、同窓の坂本君は大学卒業後4~5回の司法試験の受験を繰り返しており、背水の陣で最後の挑戦をしようとしている同君を励まそうという趣旨の集まりに呼び出されたからである。
ある一夜、渋谷の洒落たレストランに集った飲み会には、坂本君が婚約者も連れてきており、高校時代の少数の仲間内の集まりだったこともあって、余計に記憶に残っているのかもしれない。共通の友人を通じて、坂本君が高校時代は秀才であることは広く知られ、私立難関大の法学部に現役合格し、司法試験を目指していることは風の便りで耳にしていたが、初めて親しく会話を交わした同君の難関への度重なる挑戦や、将来を誓い合った女性との婚約を済ませた上での最後の受験の覚悟を知り、何とか目前の難関を突破してほしいと思ったものだった。程なくして念願の司法試験に合格したことを知らされた。
あの渋谷のレストランでの会話から40年近くたった先ごろ、横浜で法律事務所を開いている弁護士の坂本君から、「伊藤と久しぶりに会って、いろいろな話が聞きたい」と携帯電話を通じて連絡をもらい、お互いの地元でもあったターミナル駅近くの居酒屋で会うことになった。同君から会いたいとの連絡をもらう数日前に、高校時代の親しい仲間との内輪の集まりが都内であり、短時間ながら互いの近況を話す機会があったが、そのときのやりとりから、二人でじっくり話したいという意向であることが分かった。
坂本君は民事が専門の弁護士、筆者は長く報道機関に籍を置き、国際ニュース報道に従事していたといった具合で、職業上の接点は全くなかったが、そこは同じ高校の同期ということで話は弾んだ。筆者からは、高校卒業後に進学した大学での国際関係論ゼミで恩師のN先生やゼミ仲間から大きな知的刺激を受け、そのことが職業上も大変役に立ったことを話し、6年前に急逝された恩師の追悼集をまとめた新書が手元にあったので、「これを読んでくれれば、俺の社会人人生がどんなものだったか、少しは分かってもらえるよ」と補足説明し、恵贈した。恩師のN先生の教え子の文章を集めて編んだ追悼集は、筆者が編集責任者を務めた経緯があるので、「恵贈」という言葉の使い方も誤りではあるまい。
この追悼集は、恩師が生前、学者、啓蒙家として極めて精力的に発表された多くの書籍や論文の中で、現在もなお重要と思われるものを慎重に選んで全8巻にまとめて刊行した著作選集のPRを兼ねた新書だ。それを手にした坂本君は新書の帯に書かれた著作選集全8巻のタイトルに興味をそそられたらしく、この選集全巻を購入したいので、早急に手配してほしいと頼んできた。
全く予期していなかった坂本君の申し出に喜ぶと同時に、後日、「伊藤と今度会うときには、貴兄の恩師の著作選集の読後感について話し合うことにしよう」と伝えてきた。いずれも大部な著作選集の各巻は現代中国論や国際関係論、大学教育革命、教養と人生など分野は多岐にわたり、内容も濃い。これまでは疎遠だった好奇心旺盛なこの友人とは今後、何度も会う必要が出てきそうで、定年後の新たな楽しみがまたひとつ増えたと喜んだ。