第461回 都会にもまだある「カワセミが飛ぶ清流」 伊藤努

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第461回 都会にもまだある「カワセミが飛ぶ清流」

週末は幾つか片付けなければならない用事が入ることが多いが、天気が良くて時間があるときは、自宅からそれほど遠くない小さな河川のサイクリングロードに出掛けることが多い。大昔、長い歳月をかけて現在の多摩川の流れで造られたといわれる現在の国分寺から三鷹にかけての崖沿い(崖線)に湧き出る大量の湧水が源流の野川(のがわ)の両岸にある遊歩道がサイクリングロードにもなっており、緑陰の中を小さな清流を眺めながらのサイクリングはちょっとした心身のリフレッシュになる。

これまでは、古い自転車のペダルをこぎながら四季ごとの川の流れや岸辺の木々、季節の花々などを眺める程度であまり気に留めていなかったが、最近、何回か続けて、野川を生息地とする野鳥のカワセミに出会う機会があった。カワセミは漢字では「翡翠」と書くが、翡翠(ひすい)色の美しい体色は「飛ぶ宝石」「川の宝石」にもたとえられる。水中に飛び込んで捕食する小魚などをエサとし、水辺の切り立った土崖に横穴を掘って巣を作るため、清流でないと生きていけないなど、野鳥ではユニークな生態だ。個体ごとに縄張り意識が強いため、カワセミを一度見掛けると、その近辺では同じカワセミに出会う確率も高くなる。ちなみに、カワセミの美しい体色がなぜこれほど美しく見えるかというと、羽毛にある微細構造によって、光の加減で水色や緑色に見えるためだそうで、自然は面白い野鳥をつくり出したものだと感嘆する。

川べりのサイクリングロードを走っていると、三脚を手にしたアマチュアカメラマンの方々が何人か、カワセミの巣穴がよく見える川べりの反対側に陣取っていて、姿を現すのを待っている光景を何度も見掛けていた。このため、カワセミがこの辺りに生息していることは承知していたが、筆者が目撃したことはなかった。最初に自身の目で、スズメ大のくちばしが長い、体色が青色に見えたカワセミを見たのは、カメラマンの人たちが陣取る定番の場所からやや下流から上流にかけてで、川べりの低木の小枝に次々と止まりながら、川面すれすれに飛ぶ姿だったが、デジタルカメラを手にするまでもなく、あっという間に姿を見失った。

その1週間後の土曜日は、たまたま、地元有志の方がカワセミの止まり木用に作った浅瀬の中央の立ち木に止まり、首をせわしく動かしながら川の小魚を探している絶好のシャッターチャンスに遭遇した。いつもの場所にカメラマンはおらず、両岸上の遊歩道にいた何人かが止まり木にいたカワセミに気づいたようで、皆、同じ方向に視線を向けている。このときに写した「川の宝石」を証拠写真として掲載させていただくが、カワセミを大きく撮影できなかった技術的未熟さはご容赦願いたい。

筆者にとっては貴重な一枚を撮影できた野川の場所は、近くに都立野川公園があり、三鷹市内でもまだ緑の多い大沢地区。カワセミが縄張りとする川べり近くには、数十年ほど前まで近隣の農家で使われていたという水車が保存されているほか、地元有志がつくり上げた「ホタルの里」もある。カワセミがこの地で生息し、アマチュアカメラマンや散歩する市民らの目を楽しませているのは、地元の方々の熱心な自然保護活動に対するお礼の気持ちもあるのかもしれない。



野川を生息地とする野鳥のカワセミ

 


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