最近、3度目のインドネシア駐在となる大学時代の友人の内輪の壮行会を兼ねて、昔の学生仲間が集まった。中には、卒業以来ほぼ40年ぶりという同窓もいたが、あっという間に20歳前後の青春時代に戻れるのは不思議だ。長い人生のわずかの期間、わずかの機会に交流したのにすぎず、卒業後の歳月の方がはるかに長いのだが、誰もが経験する同窓との交流のありがたい点だろう。
主賓格のT君は学生時代にインドネシア語を勉強し、大学卒業と同時に総合商社に入社。得意の専攻語を生かして商社マンとしてジャカルタの駐在を2回経験した。商社での担当部門が自動車業界との取引ということで、後年、自動車部品メーカーに転職し、そこでも海外畑を歩み、中国の上海駐在、メキシコでの新工場立ち上げの責任者を務めるなど、充実した会社人生を送ったことが久しぶりの会話を通じて分かった。
60歳の第一次定年でサラリーマン人生に一区切りを付け、仲睦まじい奥さんとの定年後人生を思案していたときに舞い込んだのが、第二の故郷とも言えるインドネシアのジャカルタ郊外にある日系自動車部品メーカー現地法人社長の話だった。T君の長年の海外業務経験やインドネシアを知り抜いていることなどが異例の抜擢人事の理由だろうが、数十年ぶりに同君と会って話して感じたのは、学生時代と変わらぬ明朗快活な人柄と、勉強、仕事に対する誠実さが高く評価されたのではないかと思い直した。
筆者も、以前駐在したタイに進出している日系企業の工場などを毎年視察する取材の機会に恵まれているので、地元のワーカーやエンジニアなどの中堅幹部を多数抱える進出企業の日本人社長さん方のご苦労、やりがいを少しは知っているつもりだが、インドネシアと国こそ違え、T君は与えられた新天地での任務をきっと全うするだろうと密かに確信した。
その理由は、T君が上手だった硬式テニスの思い出話を聞いたからでもある。何と、同君は25年前から、テニスラケットを手にしていないのだという。なぜなのかと聞くと、思ってもみなかった答えが返ってきた。
「商社に入ってからもテニスを続け、人脈を広げることができたけれども、テニスというスポーツが相手の弱点を突いてポイントを取るということに疑問を抱き、ある意味で自己責任との戦いでもあるゴルフに転向したのだ」という。打ち込んでいたスポーツ競技の意外な転向理由、大げさに言えば、ちょっとした人生哲学の問題だと感じた。
インドネシア駐在の日系企業現地法人の社長ということであれば、現地従業員との付き合いだけでなく、取引メーカーの経営者らとのゴルフコンペもあるはずだ。ゴルフを愛するT君であれば、その趣味もきっと、大事な気分転換とともに仕事面で大きな味方になるに違いない。学生時代の友人が現地法人社長を務めるインドネシアを、もう一人の共通の学生時代の親友を誘っていつか訪ね、ぜひとも工場を取材したいと思った。