カンボジアとの軍事衝突で政局が混乱するタイ 直井謙二
カンボジアとの軍事衝突で政局が混乱するタイ
カンボジアとの国境地帯で発生した軍事衝突をきっかけに、タイの政局が再び混迷を深めている。ペートンタン政権が倒れ、新首相を選ぶ指名選挙が9月に実施され、親軍派のタイ名誉党の党首アヌティン氏が選出された。これと前後してペートンタン前首相を擁護していた父親のタクシン元首相が拘束された。
タクシングループと対立する王室と軍を支持する勢力は、前首相の父親を再び失脚させ、タイ国内の政局が揺らいでいる。
2023年の総選挙では、強硬な反軍改革派の国民党が第一党に躍進した。これに対抗するため、本来は敵対関係にあったはずの親軍派のタイ名誉党とタクシン氏が主導するタイ貢献党が協力し、国民党による政権を阻止した結果、ペートンタン政権が誕生した。
しかし、ペータントン政権に決定的な打撃を与えたのが、7月末にプレアビヒア寺院などを巡って発生したカンボジアとの軍事衝突だ。タクシン元首相とフンセン氏は「古い国体を改め経済成長をめざす」という政策で一致しており、二人は長く良好な関係を築いてきた。ペートンタン前首相も父親の政策を引き継いでいた。
事態の沈静化めざしたペートンタン氏とカンボジアのフンセン氏との電話の内容がカンボジア側から漏洩した。通話の中で、ペートンタン氏はフンセン氏を「おじさん」と呼び、軍事衝突ついて自国のタイ軍を批判する発言をしていたことが明らかになり、政権内の親軍派の怒りを買った。
振り返れば、1990年代末のタイでは民主化が進み、軍の政治関与が弱まっていた。かつて軍事クーデターのたびに出動していたロッブリにある陸軍タンク部隊を訪ねると、兵士たちは午前中に軍事訓練、午後には基地内で稲作などに励んでいた。クーデターついて質問をすると、「過去の話で、今はありえない」という答えが返ってきた。
2001年、タクシン氏が愛国党を立ち上げ、選挙に臨んだ。元々、タクシン氏は軍や王室とは対立関係にあり、選挙戦直前のインタビューでは経済運営に自信をのぞかせていた。(写真)北部チェンマイ出身のタクシン氏は地元を精力的に回り、各農家に農業用の貯水池を寄付するなど、金権政治的な一面も見せていた。

プミポン前国王は当時、「タイは4番目のドラゴンになる必要はない」と述べ、中国、香港、シンガポールに続いて4番目の拝金主義の国になることを戒め、間接的にタクシン氏を批判したものだ。一方、中部タイや東北タイではタクシン政権の恩恵を受けられないという不満が蓄積していた。
こうした国民の分断と王室の批判を背景に、2006年には軍が久しぶりにクーデターを起こし、タクシン氏は失脚して国外に脱出した。その後も政権交代が繰り返され、タイ社会は再び分断の危機に直面している。




