往年のサッカーファンなら、「デトマール・クラマー」の名前を覚えておいでであろう。そう、1964年の東京五輪で、釜本邦茂や杉山隆一らを擁した日本代表チームが強豪のアルゼンチンを退けてベスト8の快挙を成し遂げ、その4年後のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した陰の功労者である。1960年から64年まで日本代表チームのコーチとして、サッカーの基本を徹底的にたたき込んだ。「日本サッカー育ての親」と呼ばれる。
クラマーさんは1925年にドイツのドルトムントで生まれた。まだお元気で、今年で85歳になる。ドイツ人の元サッカー選手にしては小柄だが、現役引退後は日本を含め70カ国以上で後進の指導に当たっているという。基本に忠実なその指導がいかに世界のサッカー関係者から高く評価されているかが分かる。
筆者が全く畑違いの人物であるクラマーさんにお会いし、話を聞いたのは、1998年のバンコクでのアジア大会の際、ホスト国タイの代表チームのコーチをされている時だった。東京の運動部デスクの指示に基づくインタビュー記事執筆のためだが、この取材依頼には心が躍ったことを今も記憶している。早速、バンコク市内の中級クラスのホテルに滞在していたクラマーさんに取材を申し込み、快諾を得たが、その際、「何か所望される物はありますか」と聞いてみた。電話の向こうで、クラマーさんは何も気遣いをしなくていいと繰り返したが、こちらもお礼の気持ちを示したいと食い下がっていると、「では、日本代表のコーチ時代に好きだった(インスタントの)味噌汁(ドイツ語で「ミソズッペ」という)をお願いする」との返事があった。
バンコク支局の助手とともに、指定されたホテルに伺うと、写真などで見覚えのあるクラマーさんが待っていてくれた。たまたま、筆者が釜本や杉山といった名選手をよく知っていたことや、西ドイツ特派員時代に、日本人選手として初めて同国の一部リーグ(ブンデスリーグ)で活躍していた奥寺康彦選手を取材したことがあったので、思い出話に花が咲くような感じで会話が弾んだ。この時の取材では、クラマーさんの国際的なサッカー・コーチ歴や強豪チームの印象を中心に話を聞いたが、40年近くも前の日本代表コーチ時代のことを鮮明に覚えておられたのには驚いた。記憶力が抜群なのである。
持参したインスタント味噌汁を置き土産にホテルの部屋を辞したが、ドイツ人のクラマーさんが味噌汁が好物というのがうれしかった。逆の立場なら、さしずめドイツのソーセージやチーズを所望するということになろうが、ホテルの自室で湯を注いで味噌汁の味を楽しんでいるクラマーさんに「真の国際人」の姿を見たような気がした。